私が握手を求める理由

最近、毎日のように誰かと握手をしています。

別れ際に右手を差し出すと、少々驚かれることもありますが、すぐに笑顔で手を握ってくれる人が大半です。

パートナーは私との握手が強く印象に残っているといいます。

「初めて会った日の別れ際、その子さんは握手を求めてきて、握力が強かったのを覚えてるよ。でも、うれしかったんだ」

握る力は女性とは思えないほど、だったそうです……。小中時代に握力測定をしましたが、そんなに強かったっけ?

褒められているような、そうではないような、なんとも言えない感じですが、力が強いのは悪いことではないようにも思います。

ただ、力強い握手エピソードから、自分自身を「勇ましいな」と感じました。

握手といえば、今は状況が変わっていると思いますが、コロナ下で避けられていた習慣のひとつです。

コロナ下か否かを問わず、握手をする相手の衛生観念や最後に何を触ったかなどは、こちらがコントロールすることも、察することもできません。

だから、どんな人と握手をしようと、帰宅後や食事前などに手を洗えば問題ないと考えています。

人はなぜ握手をするのか

私が人に握手を求める理由。

それは、自分にとって何らかの意味を持つ、しばらく会うことのない相手に対し、言葉や表情だけでは伝えきれない挨拶をしたいからです。

1月30日に福岡を離れ、大阪に住み始めます。そうなると、福岡にいる友人知人、お世話になっている人たちとは物理的距離ができ、今までのようには会えなくなります。

最悪のケースを想像すると、そのときが「最後に会った日」になるかもしれない——。

そう思うと、何をするにも欠かせない「相手そのものともいえる存在」である手でスキンシップを取りたい、という欲求が生まれます。少なくとも私には。

本当は軽くハグするのが理想ですが、ハグに慣れていない人だと「えっ、ハグ!? そんな関係じゃないけど!?」と戸惑わせてしまうことは容易に想像できます。

握手の方が一段階、インパクトが弱いはず。そう考えての握手という選択肢です。

衛生面で手の接触が気になる人にとっては、ハグの方が安心でしょうが、身体接触の面積が広くなる件をどう解釈するかも人それぞれ。

総合的に考えると、握手がより良いかなという現時点での結論です。

昨日も友人ふたりを引き合わせるお茶会をしたあと、しばらくは対面しないであろうふたりと順に握手をしました。

一瞬の握手はあまり記憶に残りません。肌質、力、湿度などの要素で、よほど特徴があれば話は別ですが、大体の人はふわっとした握り方をします。

私はがっちり強めに握ります。これはもうクセのようなものでしょうか。これからも握手でお別れ、は私の習慣であり続けることでしょう。

ハグでもいいよ、という人は握手のあと、軽くハグしましょう。いざやってみると、温かい気持ちが生まれる動きです。

Text / Sonoko Ikeda