「ライター業、引退。」
この記事が思いがけず、けっこうな反響でした。
普段私の投稿がタイムラインにまったく出ていなさそうな人も、意外にリアクションをしてくれるという(笑)。
ライターの仕事をしている人は多いですし、フォロワーには年齢的にも中堅やベテランに差し掛かってきた人も少なくなく、「ライター」「引退」というワードがキャッチーだったのかなあと思います。
始まりがあれば終わりはあります。だからこそ、終わりを意味する「引退」は気にされるのだとも想像します。
なお、現時点で私が考えているのは、個人事業主としての事業の中で、「依頼を受けて取材し、記事を書く」というライター仕事を手放すことです。
手放す予定のライティング案件は、頭の中で目星をつけています。
2025年5月以降も継続になる場合は、私の後継として誰かを推薦することになります。良い方をお勧めして、引き続き良いモノを制作してもらえるようにと願っています。
一方で、「ライター業ではない仕事」は、契約が切れない限り自分の手元に持っておきます。
具体的には広報・PR関連の業務です。たとえば、2023年10月から福岡県飯塚市にある「飯塚高校」の広報・PR業務をお手伝いしています。
半期ごとの契約にしていて、延長がなければおしまいですが、継続していただける限りは「チーム」の一員として動き、貢献したいです。
この仕事はライター業に分類していません。
先生方とやりとりをして、ときに生徒にインタビューをすることもありますが、基本的には学校の魅力を発信する業務。Webサイトの情報をこまごまと更新することもあります。
主担当である先生方と昨年から話をする中で、学校をより良くしていくためにたゆまぬ努力をされていて、それを聞くと「私の持っているスキルを使い、役に立ちたい!」と思えたのです。
2年住んだ大好きな福岡県にある高校ということもあり、かつパートナーが7〜8年ほど前まで飯塚市で働いていたこともあり、福岡の仲良しである望さんにゆかりのある土地でもあり、勝手にご縁を感じています。
5月からは体制が変わり、福岡でできた大切な友人のひとりでもある「アサコナン」をチームの一員にして、一緒に動いています。
彼女は愉快で朗らかで、柳のような在り方が素敵だなあと思っていた友人です。一緒にプロジェクトを進めるうちに「やっぱり仕事ができる人だったな、この人は」と、答え合わせをした気持ちにもなりました。
「恋するご当地調味料」という自身のメディア運営をしていることもあり、コンテンツの見せ方への配慮が行き届いているのです。
加えて「一度関わった仕事においては、できる限りいいモノを作りたい」というマインドが根付いているようで、積極的な改善提案もしてくれます。
春、アサコナンに「チームに入ってくれない?」と声をかけたら快く、ノリ良く応じてくれました。
この人にお願いしたいな、一緒に仕事できたらいいな、と思った私の直感は大正解だったのです。
ここから派生して、ライター仕事を手放した後は、気の合う友人・好きな友人と組んで、今までの知見を生かして仕事をする未来を描いています。
たとえば、私はライターとしてブックライティングはしないでしょうが、企画や編集、ディレクションはやります。
そのプロジェクトの中で、本を書くライターとして関わってくれる友人の目星も付いています(こういう座組みでやれたらいいね、とも話をしています)。
モノづくりはするけれど、ライターとしての動きはしない——。
ライターは「ライターとして生きていきたい」と考えている、根っからのライターである友人にお願いし、私は彼女が担当しない企画や編集の領域をするのです。
人生、あとどれくらい残っているか分かりません。そう思うと、応援したい人・組織の仕事を受けたいし、その仕事をするときは、自分ひとりで回らない場合に、好きな人と組んでプロジェクト化したい。
そうすれば「起きている時間のすべて」が、最高に良いものになると考えています。
「一緒に仕事をしたい人リスト」はもう手元にあります。その人たちとともに仕事ができる人間になるよう、精進していく日々です。
Text / Sonoko Ikeda
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