恋愛という要素が人生からすっぽり抜け落ちてしまうことを、実らない片想いに無駄に苦しんでいたはるか昔の自分は少しも想像していませんでした。
かといって、恋が成就しようがしなかろうが、ときめきや恋しさ、切なさ、寂しさといった恋愛感情の類がいつだってすぐ手の届くところにあるものだと認識していたわけでもありません。
しかし、いつの日か生活から恋愛が消えていました。
「そういえば、あれ、ないね。どこ置いたんだろう?」と、気づかぬうちにモノをなくしてしまうのに近い感覚です。
いつ、恋愛が薄まっていったのか分かりません。ただ、意識したときには確認できないほどになっていました。
あるとき、今日は3〜4人の飲み会だろうと思って行くと、誘ってくれた男性と私のふたりきりだったことがありました。
その人から事前にもらっていた情報量が少なかったのと、関係性や雰囲気的にサシではなかろうと想像していたのです。
その日、こじんまりした店のカウンター席で物理的距離が近かったこと、ボディタッチされても嫌悪感を覚えない人物であったことから、新鮮さや意外な展開にふわふわした感覚を抱いたのを覚えています。
「えっ、こんな表情を見せる人だったの?」「ちょ、かわいいんだけど」といった発見にわくわく。
でも、それは恋愛の始まりを意味しません。心が一時の刺激に揺さぶられただけのこと。頭は冷静に機能しています。
「この人モテてきたよねー」
「なぜこの人のボディタッチは嫌ではないのか」
「セルフコーチングで学んだ、本当の意味で『相手の目を見る』を、この人はナチュラルに実践してるんだよなあ。人たらしとはこのこと」
なんてことを、その場で考えていたのでした。
パートナーとのhomeに戻ると、awayで触れた刺激を思い出しはするものの、自分が自分らしくいられること、安心して戻ってこられる本拠地があることに価値を感じました。
またいつか恋愛をすることはあるのかもしれません。先のことは私も分からない。そのときは、そのとき。
今は恋愛が溶け切った日常に浸かるのがちょうどいいなあと思っています。
Text / 池田園子