言葉に関わる仕事をしているというのに、油断して安易な発言をしてしまい、相手に不快な思いをさせることが時にあります。
相手と同じ立場に置かれていないし、その状況ならではの苦労を味わっていないというのに、いかにも分かっているかのように言うのは愚かしいこと。
冷静になればそう考えられるのですが「やってしまった……」と気づいたあとは、思慮深さの欠片もない自分に嫌気が指します。
7月初旬にした失言をもとに、今後はどう対応すればよいのかを考えてみました。
一家で海外移住した方が一時帰国した際、お会いしてお話しする機会がありました。
そのとき私は「子どものときに海外で暮らし始めると、大人と比べて言語習得に有利ですよね」といった内容のことをポロッと言ったのです。
2〜3年前、オンライン英会話で英語を再び勉強しようとしたものの、学生時代よりも言語習得が不得手になっていたり、記憶力が落ちていたりするのを感じたことがありました。
30代後半になって語学学習を再開した当時の自分を思いながら、そんな発言をしたのです。
すると、お相手は表情が険しくなり、そういうことをよく言われるけれど、と前置きして続けました。
子どもだからといって、単に暮らしているだけでその国の言語を話せるようになるわけではないこと、決して自然かつ簡単にマスターできるわけではないこと、かなり大変であること……。
私の安直な発言はひどく想像力に欠けたものでした。「この人は想像力がない発言をするなあ」と他人に対して感じることがありながら、当の自分がその有様です。情けない。
異国での言葉やコミュニケーションの問題において、移住した当時から今までの長い期間、その方やお子さんがいかに格闘してきたか、その格闘を通じてどんな喜怒哀楽を味わってきたか。
そういった経験がまるでなかったかのような、一足飛びでさしたる大変な思いもせず言語を習得できるかのような表現をしてしまったのだと、自分の発言の過ちに気づいたのです。
慌てて配慮のなさをお詫びしました。
そして、自分が大人になって語学と向き合い始めたとき、子どものときよりも難しくなっていると感じたこと、子どもの方が大人より言語習得しやすいといった本や記事などを読んだこと、そういった「感想」や「受け売り」から背景を想像もせずに発言して申し訳ない、といった言い訳と謝罪を伝えたのでした。
この先、同じような会話をするとき、どう対応するのが適切なのかと考えました。
決めつけや伝聞的な表現で終わるのではなく、質問するのがベターなのだと思います。
あなたたちはどうだったのですかと。あなたたちの中でどんなストーリーがあったのかと。
それは勝手に決めつけるのでもなく、見聞きした話を披露する薄っぺらさもなく、相手への興味関心を提示することにもなります。
申し訳なく、恥ずかしくなるような失言経験でしたが、そこは乗り越えていくしかありません。まだまだ暮らしは続いていくのですから。
Text / 池田園子
▼「失言」に関連する本▼
『余計な一言』