ここ最近、パートナーが不在の水曜を何度か経験した。
水曜日。ぼくにとってこの曜日は仕事で夜中であろうと呼び出しコールがかかる。
それを知って最近はパートナーが会食(夕食)の予定を入れることが多い。
仕事でいつ呼ばれるかわからない状態でパートナーが僕と一緒に食事をしても、僕の心が落ち着かないのだからふたりが楽しい状態とはいえない。
そんななので僕は僕で会食の予定を入れて別で楽しんでくれるパートナーがありがたい。
ある水曜の夜。パートナーは会食に出かけた。
僕はひとりで夕ごはん。Uberを頼もうかな。高いな。コンビニで買うか。
近所のコンビニへ向かった。
唐揚げにタルタルソースが付いたお惣菜と焼きそばのパック、プロテインドリンク、ヤンニョムチキン味のサラダチキン、プリン。
いつ仕事で呼び出しの電話が鳴るか分からないこともあって、精神的にはストレスがある曜日。そのせいもあってつい買いすぎて、食べすぎてしまう。
振り返ってみると、パートナーが会食に出かけた水曜日はいつも食べすぎていることに気づく。ただただ満腹になって食欲を満たす。なんとなくもの悲しい。
一方で、水曜日以外の二人の夕食。たとえば今日は魚を焼いてくれた。さしみこんにゃくに納豆、サラダ、玄米。ずらっと食卓に並ぶ。味付けが上手で薄味に仕上げてくれる。
ふたりで他愛のない会話。ラジオをBGMにしながら時にはもくもくと食べる。会話が盛り上がってもそうでなくても夕食の満足度が違う。
吉野家の牛丼もマクドのハンバーガーも嫌いじゃないけれど、やっぱり親しいひとと食べる食事は満足で、今の自分が欲しているものなのだと気づく。
往診で生計を立てている僕は、高齢独居の患者たちの食事についてよく耳にすることがあった。「ひとりで食べてもねぇ」「味気ないからねぇ」「最近は作るのも適当よ」……。
「食文化」とはよくいったもので、誰と食べるか、何を食べるか、どこで食べるか。この3つの合わせ技で思い出になるかどうかが決まるのだと思う。
この3つの要素で一番「満足」につながるのは誰と食べるか。どんなに時代が変わっても、ひとと食べることが自分の満足につながることを感じてほしい。
ぼくはまんぷくになりたかったんじゃない。まんぞくしたかったのだ。
Text / Dr.Taro
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