「パートナーと別れたい」「あの人と断交したい」「あの仕事を切りたい」。
そういった特定の誰かや何かとの縁を切りたいわけではありませんが、関西では悪縁切り・良縁結びで有名な京都「安井金比羅宮」を参拝してきました。
先月参拝したという妹から、縁に関してとても大きなパワーがある神社だと教えてもらい、安井金比羅宮を知るに至りました。
【関連本】安井金比羅宮が監修した本『縁切り力』
有限な時間の中でやりたいことがたくさんあるので、本当に必要な縁だけと関わりながら生きていくのが理想です。
私が本心で求めているのはとても小さく、狭い世界なのかもしれません。そこで「生活」をしながらも、Webという道具を使って大きく、広い世界と関われたらいいなあという願望があります。
基本はコンパクトに生きていきたいのです。
さて、朝の安井金比羅宮。鳥居をくぐって本殿のほうへ進んでいくと、友人同士で来ていると思しき男性のひとりが「さっきから頭が痛い。やっぱりここはなんかやばい」と何かを感じている様子。
一方の私は霊感もなければ鈍感な人間ということもあり、何も感じ取ることはありませんでした。
確かに事前に予習をする(体験談をいくつか読む)と、身体の調子がおかしくなったとか、2度目3度目の参拝時に電車遅延や事故などが起きて辿り着けなかった(安易に行かないほうがいい、といったメッセージも)などの声もあったのです。
感じる人は感じるんだろうなあと思いながら、「形代」と呼ばれる想いを書く紙を前に、さて何を書こうかと考えます。
「不要な縁は切って、自らの魂を磨くのに必要な縁を結びたい」的な理想を書いて「縁切り縁結び碑」の穴を潜りました。
安井金比羅宮で検索すると、おびただしい量の札のようなモノ(それが形代)が貼り付けられたかまくらのような立体物が見えます。それが縁切り縁結び碑です。
とても狭い穴ゆえに体型によってはくぐれない人もいそうです。ただ、平日は長蛇の列ができることもあるようで、神社としては「くぐってもくぐらなくても(期待できるご利益は)変わりはない」といったメッセージを発信している様子でした。
ただ、くぐる際はリュックなどを置いて身ひとつで、手で身体を支えながらの体勢が必要とされます。また、服装はスカートではなくパンツのほうが適しています。
くぐったあともとくに何も感じることはなく、形代を貼り付けて帰ってきました。
その際、他の人が書いた絵馬や形代をチラッと見ると、書かれた内容には多様な情念が込められていました。個別具体的な想いが溢れていて、貼り付けた当人の気持ちを想像したものです。
しかし、それだけ膨大な「別れたい」「復縁したい」などの強い念を受け取っていたら、境内には“何か”が蓄積しているのは間違いありません。
参拝したことで神様頼みをするつもりはなく、自分の縁は自分で切り拓いていく。そんな考えで、適切な縁を育て、維持していきたいです。
そもそも、神社は感謝をお伝えする場で、お願いする場ではありませんからね。「これまでの縁をありがとうございます」とだけお伝えしておきました。
Text / 池田園子