雑誌やWebなどではおなじみの「人生相談コーナー」を眺めていて、ふと考えたことがあります。ここ数年の私、人から相談を受ける機会がない! と。
「◯◯から相談されてさ〜」なんてことを見聞きすると、羨ましい気持ちになります。頼りにされてる人なんだなあ、人望があるんだなあ、悩みを打ち明けたいと思われるんだなあ……。あれ、私は? と。
【関連本】『岡田斗司夫ゼミのサイコパス人生相談』
会社役員という立場ゆえ、メンバーから仕事関係の相談を受けることはあります。しかし、いわゆる仕事を除くテーマ、かつ「相談に乗ってほしいんだけど……」という腰を据えた本格的な人生相談らしきものは、この数年受けていません。
だが、しかし、と考えました。私は私で、他人に人生相談をすることはないんです。
数年に一度、特別な力を持った人に現在や未来を見てもらいにいくこともありますが、何らかの悩みや迷いが生じたときは原則自分で考えて、考えられ得るベターな行動をとって、状況をより良くしようと努めます。
ただ、20代後半、つまり10年前くらいは他者に共有していた記憶があります。それも「相談」ではなく、「ちょっと聞いてよ〜」的な「話を聞いてもらいたいちゃん」的な行動だったと思います。
もっと遡ると、大学時代に失恋して傷ついていた際。当時の自分は「相談感覚」で同じ部の女子たちに愚痴を聞いてもらっていましたが、今振り返ればそれは「本来、何かを解決する目的」で行われる正式な「相談」ではなかったでしょう。
やはり「ちょっと聞いてよ〜」のボリュームアップ版というか「朝まで聞いてほしい〜(涙)(迷惑)」欲が全面に押し出された「感情の垂れ流し」だったと自覚しています。
悲しいことや傷ついたことは、うんうんと優しく聞いてもらうだけで、傷が癒えていくことを生物として本能的に察知していたのでしょう。聞かされる側は大変ですが。
人は大人になるにつれ、他人に対し、「相談」という皮をかぶった心情の吐露をしなくなるのかもしれません。
「相談」と称していても、すでに自分の中で結論は出ているからこそ、別に人に打ち明ける必要はないと悟り、自己解決に至る人が増えているのかもしれません。あるいは私に人望がないか(涙)。
「相談」について考えてみました。「相談」に関する皆さんの意見やエピソードも聞きたいです。
Text / 池田園子