「別れる」って難しい。幾度となく振られてきて、一度だけ振ったことがありますが、つくづくそう思います。
少し前、私のケンケンした態度が原因で、パートナーとの間で嫌な雰囲気をつくったことがありました。そのとき、彼から「ソノ(私のこと)が別れたいと思うなら、ソノから『もう終わりたい』って言ってよ(涙)」と言われたのです。
私の発した言葉が別れを連想させ、そんな展開になってしまいました。私は即別れたくて発言したわけではなかったため、言葉足らず・配慮不足な面については侘びつつ、真意を説明して場を収めました。
そんなエピソードをきっかけに、ひとつの恋愛や結婚が終わるとき、振る側とは嫌な役回りであり、それを進んで引き受ける側しか抱えることのない重みがあるなあと、改めて思ったのです。
別れる理由はさまざまですが、俯瞰的な視点では振る側が「悪者」に見えてしまいます。また、振られる側には悲しまれたり、恨まれたり、憎まれたりすることもある。
「別れたいんだけど」「はーい。じゃあ、解散ね♪」となれば、なんで今まで一緒にいたんよ? とむしろ怖くなる。
どちらも嫌な気持ちになることなく、晴々とした気持ちで別れに至れるケースは少ないでしょうから、たいていは喜怒哀楽のうち「怒哀」のエネルギーをすべて引き受けることになります。
そんな負の流れを予想した上での申し出、なわけだから振る側には勇気も覚悟も必要です。
だからこそ、これまで私を振ってくれた方々には感謝の念があります。そっちを引き受けてくれてありがとね、と。
当時はそんなことを考える余裕もありませんから、自分が悲劇のヒロインであり、とにかく悲しい、辛いと、相手を思いやる想像力は1ミリもありませんでした。
私が怒って暴れたり、泣き叫んだり、恨んで付きまとったりする可能性がなきにしもあらず、です。そこを加味した上で、振ることを選択する強さ。
まあ、どれもしませんし、ひとりになったときに泣いたり、友人に愚痴を聞いてもらったりする程度ですから、おとなしいものです。彼らは「その子は危険人物に豹変しないタイプ」であると見抜いていたのかもしれません。
人生で一度だけ振ったことがあります。ふたりの彼と同時に付き合うのに限界を感じ、同時進行していたもうひとりの相手に絞ることにしたタイミングでした。
もともとの彼に別れを切り出す前「どうすれば嫌われるか」を必死で考えて、そっけない態度を適宜挟むなど、愛情残高を減らすための行動をとっていました。
でも、嫌われない。仕方なく別れの意思を伝えたところ、泣かれて理由を聞かれたものの、同時進行を率直に伝えることができず、苦労しました。
結局、最終的には正直に伝えてお別れしたのですが、離婚よりも大変だった実感があります。精神的にもとても疲弊したものです。
ただ、どちらかが切り出さなければ、終わるに終われません。自然消滅という手もあるのかもしれませんが、収まりが悪いというか、私ははっきり終わらせるほうが好き。
名前のない関係があってもいいし、始まりはしるしがなくてもいいけれど、本命との終わりには確実な線を引きたいと思っています。
Text / 池田園子
【関連本】『失恋、離婚、死別の処方箋 別れに苦しむ、あなたへ。』