改札での不毛な戦いを見て、考えたこと。

帰宅ラッシュ時、駅の自動改札口での出来事。改札から出ようとする人と、改札に入ろうとする人が、同じ改札を通ろうとしていた。どちらも自分が先だと譲らず、何度もタッチし合うけれど、ブザーが鳴るばかりで、改札はどちらにも開かない。それでもふたりは譲らずにその場に留まり、後ろには通過を待つ人々の列ができていた。

なぜどちらも譲ろうとしないのか。どちらかが「お先にどうぞ」と言えば、その場はすぐに解決するはずだった。ふたりは頑なに自分の主張を通そうとし、結果として互いに進めないだけでなく、無関係な他人まで巻き込んでいた。「自分はこの道しか通らない」と決め込んでいるような態度で、全身が頑固という膜に包まれているように見えた。

自戒を込めて傍観していた。自分にも頑固さがあることを認めざるを得ない。仕事でも人間関係でも「自分が正しい」「自分は間違っていない」と信じ、柔軟さを失う瞬間があると自覚している。

でも、頑固さは別にいらない。むしろ必要なのは柔軟さ、譲ること、引くこと、そして相手の気持ちを想像すること。やわらかさこそ、持っていたい要素。

やわらかな心を持つことには、単に相手に譲る以上の意味がある。他者との関わりを築くための基本であり、摩擦を減らし、日々を心地よく過ごすためのカギともいえる。やわらかな心は、あらゆる状況に対応できるしなやかさを秘めている。

改札口で譲らなかったふたりは、頑なさゆえに停滞を招いた。どちらかが一歩引けば、その停滞は数秒で解消されたはずなのに。たまたま目にしたこの光景から、人との関わりにおいて大切なのは譲り合いと柔軟な心であることを再認識し、その日のうちにこの文章を書いている。あのふたりには、貴重なネタを提供してくれたことに感謝したい。

やわらかい心を持つこと——。私が勝手に「心の師匠」と慕っているコウダプロ・幸田社長も朝礼で度々話しているけれど、それこそが人間として成長していくために欠かせない力だと思う。

Text / 池田園子

【関連本】『素直な心になるために