“その人の土台”となる母語をどう守る?マジョリティこそ観たい映画と出会った

マジョリティであり、ほぼ日本語しか使う機会のない私が「母語」について生まれて初めて考える機会を得ました。昨日、ドキュメンタリー映画“In Between- In Search of Native Language Spaces-”(邦題『はざま – 母語のための場をさがして-』)を観にいったときのこと。

本作のメインテーマは母語。舞台は日本です。この国における移民とその母語がいかに「存在しないモノ」として扱われているかを感じることとなりました。

日本に住む外国籍の子どもたちは増えていて、彼らは日本の学校に通うことから、日本語を習得せざるを得ない環境にいます。

当事者や彼らを支える人々、専門家などへの取材を通じて作られた本作。当事者として取り上げられたネパール人の兄妹は、ネパール語の基礎を押さえている兄に対し、ネパール語を話せない(日本語は話せる)妹というふうに、来日時期や母国で暮らした時期によって、母語の習得レベルが異なっていました。

この兄妹のようなケースは珍しくはなく、日本で暮らす外国籍の子どもたちは、母語を使う機会を失っていると言っても言い過ぎではないようです。学校では日本語で授業を受け、友達と交流し……となると、外で母語を使う機会はほぼありません。

親たちも日本語を話せるとなると、家庭内で母語を使う機会がないことも考えられます。さらに、進学や就職のことを考えると、しかも日本の外へ出ていくとなると、母語よりも覇権言語である英語を優先的に学ぼうとするのも自然の流れです。

実際、たとえばネパール語を学べる学部や学科は、日本国内の外国語大学では存在しないに等しく、単発の講座のような場しかないといいます。ネパール国籍を持つ子どもも、ネパール語を学んだところで、ネパール国内に戻らない限りは使う機会がない(日本語や英語の方が重要度が高い、と考える)となるのも無理はないと想像します。

ただ、作品内でインタビューを受けていた語学の専門家は、母語は思考する上での土台であるとも言っていました。その話を聞いて思い出したのは、心理言語学者で著書に『言語の力』などがある、ノースウェスタン大学教授・ビオリカ・マリアンさんの話です。

「感情の構築のされ方は言語によって異なるため、使う言語次第でその人の考え方や決定も変わる」といったことをおっしゃっていたのが印象に残っていました(もし私も英語を日本語レベルに使えたならば、英語と日本語を行き来して物事を考え、それによる差分を味わえるのかなあ、なんて夢物語を描いていたのです)。上映会後、アフタートークで寄せられた質疑応答でも、複数の言語を話す人の場合、自分の感情を素直に表現しやすい言語とそうでない言語があるといった話が出ていました。

母語を自由自在に扱えたならば、もっと豊かに自己表現できるのに——。日本語や英語だと本当に伝えたいことを正確なニュアンスで伝えることが難しい——。使う言語による思考や感情の差といった話から、そんな葛藤を抱える子どもたちもいるのではないかと想像しました。

しかし、日本では彼らが母語を学べる機会はとても限定的で、そこに予算が割かれているとはいえない状況です。本作の監督である朴基浩(ぱく・きほ)さんも、この先10年を考えても予算が増えることは期待できないように思う、と持論を述べていました。

現在も外国籍の子どもたちに母語を教える場は多少あったとしても、その役割を担うのは正社員や正職員といった安定的立場の大人ではなく、アルバイト程度の報酬で雇われた教育者や限りなくボランティアに近い人たちで、手弁当で行っていると言っても過言ではないほど。

そんな現実があるなんて。38年間一貫してマジョリティの立場にいる私は、こうした問題に目を向けていなかったことを今になって意識し、相変わらずの無知を恥じました。マイノリティが抱える課題はまわり回って「マイノリティ以外=マジョリティ」である私のような者にとってどんな課題であるのか。また、課題解決に貢献したいと考え、行動する人が増えることは多数派にもどんな影響が及ぶのか。社会全体を広く見つめるこういった視点に欠けていることにも気づかされたのでした。

理想を言うならば、日本で働いて社会に貢献してくれている多くの外国籍の人々は、日本という「超巨大企業」が雇用しているようなもの。そうであれば、企業の福利厚生のような位置付けで、彼らの生活基盤となる言語を支えるために、一定の資金を拠出したところでおかしくはない。しかし、現実にはそのような配慮はなされず、彼らは単なる労働力として扱われている側面が見え隠れするようにも思えるのです。

その流れで、日本社会の冷たさや「多文化共生」という一見美しい言葉の裏に隠された矛盾に「あれ?」ともなります。母語という大テーマを通して浮き上がってくるのは、この国は外国籍の働く人たちを支え、大切にしようとする姿勢に欠けているのだなということ。自分がこのテーマに関して何かアクションを起こしているわけではないため、エラそうなことは言えないのですが、まずは問題を知って意識することから始めたい。このテーマに触れ、知ることができただけでも大きな一歩だと思っていますし、無知な私にきっかけをくれた本作と巡り会えたことへ感謝の思いがあります。

本作は9月21日の大阪を皮切りに、東京は10月5日、愛知は10月13日、福岡は12月7日と主要都市で上映会が開催されます。きほさんのFacebookに上映会概要や申し込みフォームの案内がありますので、気になる方は見てみてください。

Text / 池田園子

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