『武器としての土着思考』刊行記念トークイベント「現代社会をプラグマティックに生きる:人類の会話を続けるための土着思考」に参加しました。
この対談では、『武器としての土着思考』の著者である青木真兵さんと、『人類の会話のための哲学:ローティと21世紀のプラグマティズム』などの著書がある言語哲学研究者、朱喜哲(チュ・ヒチョル)さんが対話を交わしました。
1時間半の濃密なトーク。自分の内側に深く刺さった内容を、断片的ですが記録しておきたいと思います。
住まいを地域にひらく
おふたりにはいくつかの共通点があり、そのひとつが「住みながら地域社会にひらいている」姿勢です。青木さんは人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を運営し、朱さんは「オンガージュ・サロン」という芸術・文化創造の場を提供しています。どちらも自ら場をつくり、人の動きや偶然の出会いを生むことで、その場所がなければ得られなかった価値を創造している点が共通しています。
ルチャ・リブロもオンガージュ・サロンも、朱さんの著書『バザールとクラブ』で語られる「バザール(パブリックな場)」と「クラブ(プライベートな場)」の概念でいえば、主宰者であるおふたりにとってはクラブにあたる場所でしょう。朱さんは「人間にはバザールとクラブの両方が必要だけれども、人はSNSを含めてパブリックな場を多く持つ傾向にある」と指摘していました。友人が「取引先にも見られていると思うとSNSでは無難なことしか書けない」と話していたのを思い出します。
リアルでもヴァーチャルでも、常にパブリック・モードでいると疲弊しないか? いつ自然体な自分を取り戻すのだ? という感覚になります。だからこそ力むことなく、むしろ自分が脱力して心地よくいられるクラブ的な空間をいくつか持ち、精神的な健康を保つことの重要性は私も大いに感じました。
確実にクラブ的空間になるであろう自宅の一部を開放する——この方法は現在のマンション住まいでは難しいですが、いずれ一軒家に住む予定であるため、そこで何らか実現させたいなと考えています。
原理が異なる複数の世界を行き来する豊かさ
青木さんが語った「資本主義の世界とそうでない世界を行き来する」という話も印象的でした。『武器としての土着思考』の副題は『僕たちが「資本の原理」から逃れて「移住との格闘」に希望を見出した理由』です。青木さんは東京から奈良県東吉野村へ移り住んでいます。資本主義の象徴である東京から、まったく異なる生活原理が存在する場所への移住によって得られた事柄を著書に綴っています。
私たちは資本主義社会から完全に逃れることはできませんが、そこに浸かりつつも異なる世界を行き来することで、新たな言葉や考え方を獲得できると、対話の中で語られていました。白か黒かではなくグレーの領域もつくりながら、異なる原理(異なる世界で獲得した生き方や考え方の作法、と自分は解釈しました)を組み合わせて生きる柔軟さが重要だというお話もとても心に残りました。
私自身も東京と大阪、福岡と大阪を行き来していた時期があり、異なる文化や感覚に触れることで「両方の引き出し」を持つことの大切さを実感しました。福岡には福岡の空気があり、大阪のそれとは明らかに異なります。人の感覚も違っていて。これはとてもポジティブな体験でした。
続けることで役割の形が明確化されていく
最近「続けることの尊さ」について考えていたところ、引き寄せの法則なのか本イベントでも「続ける」というキーワードが出てきました。青木さんも朱さんも自宅を開放する活動や研究、執筆活動を続けています。「続けることで役割が見えてくる」。最後のほうでどちらかがそんなことをおっしゃっていました。自分の「役割」というのは自分が目指すことでもありますが、社会(他人)が捉えることでもあります。「この人はこの仕事が得意だから、これを任せよう」というように。どんな活動であれ、理想を持ちながら続けることで、社会における自分の役割(使命と言ってもいい)の形が自分の中で明確になり、それは社会から期待される役割と一致するようになる——そんなことも考えたのでした。
今、私は新たな小商いを始めるため、豊中市という現在の地元で草の根活動をしています。主な顧客として想定しているのは独居の高齢者です。普段混じり合うことのない世代ゆえ、コミュニケーションの難度が高いことは容易に予想できます。しかし、対話する場を手に入れて、自ら率先して心をひらいてお話を重ねるうちに、徐々に相手の心もひらかれていくのだろうと想像します。相手に期待することなく、自分の変化に期待しながら、地道に続ける。そんな姿勢で取り組んでいく活動になります。
おわりに
終盤の質問コーナーで「研究の原動力は何か?」という質問がありました。青木さんは「言葉にならなかったモノを言葉にできる喜び」や「研究を続けることで『わからない』が増えること(知りたい、につながる)」を挙げ、朱さんは「死ぬまでの暇つぶし」とユーモアを交えて語っていました。青木さんが「言葉の意味を拡張する」考え方及び例のひとつとして「研究」も挙げていたのも印象的でした。研究=大学や大学院に所属して行うこととは限りません。昔読んだ『在野研究ビギナーズ』にもありましたが、在野研究者は大勢います。私も、人生を通じて広義の「研究」を続けていきたいと強く感じました。
今回のトークイベントで得た多くのインプットを、今後の生活や仕事に生かしていくつもりです。
Text / 池田園子
【関連本】『手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ』