ひとりでも生きられる?

パートナーと出会って4年以上経過している。今ではご近所さん。夕食を共にとる一番の仲良し。

週末は映画にいったりパートナーの家庭菜園に付き合ったり、食べ歩きもしたりする。ご近所さんだけあって物理的距離が近い。

パートナーも自分も、心の距離と物理的な距離を保っていたい方だと思う。ただ、物理的な距離が近すぎるとパートナーは感じているようだ。

というのも、このところ数ヶ月に一度、いや月に一度は国内旅行に出かけるパートナー。
「ぼっちょ(私のあだ名)、来月〇日から2~3日東北行く~」といった具合に伝えてくれる。
夕食はいつもほとんど作ってもらっているのだが、急に夕食をぽつんと食べることになる。
※前もって家をあけるスケジュールを教えてくれているから急ではないのだが、急に感じるのである。

そうすると、急ではないのに急に感じてしまい、急に寂しくなる。
医療従事者ならあるあるだが、日中はほとんど休みも取らずに過ごすので、人とゆっくり食事をすることは少ない。
夕食の時間はパートナーと過ごすわけで、そのパートナーがいない数日は、ほぼ人と食事をしない時間になり、当たり前の話し相手が数日消えてしまうのである。

パートナーと付き合う前に瀬戸内寂聴さんのエッセイ本『ひとりでも生きられる』を渡された。そこには著者の壮絶人生を振り返りながら、孤独とはを書き連ねた大作エッセイが書かれている。孤独は皮膚のようなもの。恋人と別れるといつもは忘れていたあの孤独感が一気に襲ってくる……的な話が詳細に書かれている。1980年頃に書かれたもので、その当時から自立せよ、女性に生まれたとて自立し男性の力を借りようと思って子育てするべからず、ひとりで育てる覚悟で家庭を作れ的なことも書かれていたような。そんな文面で面食らった覚えがある。

そのエッセイ本を思い出す。当たり前にできていた日常の会話が妙に価値を取り戻す。ほんの数日いないだけなのに、ものすごく会いたくなる。当たり前の日常を送らせてくれていたことに気づく。

どんな関係にも距離感が必要なのだと感じる。ある環境では当たり前のことが距離によっては当たり前ではなくなる。距離を取ってみると、相手に感謝しかなくなってしまう。この輝きを持っていた日常は、この相手が半分以上照らしてくれていたという事実。

出会った頃の唯一無二感。今もまだ持っているその感情が実は少し離れることでまた輝きを増す。いつも一緒にいるのが良いわけでは決していない。安全、安心、快適なことが幸せなのではない。そんなことがひととひととの距離に内包されているのだと思う。せっかく巡り合ったパートナー。唯一無二を感じたパートナー。永遠のない人間関係だからこそ輝きを放てるはず。

自立しつつ個でいつつ、融け合って渾然一体な関係を築けたら、それは奇跡だけれど目指すべき距離感なのだと思う。

Text / Dr.Taro

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