ヒデイチさんが書かれた「愛する人と料理をすると幸せ」というエッセイに、深く共感しました。ヒデイチさんが言う「美味しいかどうかは、料理の味そのものではなく、食事の時間がうれしいかどうかに大きく関わる」という考えは、まさにその通りだと思います。何を食べても美味しいと感じるとき、それは一緒に食事をしている相手が大切で、心から好きだからこそ、その時間が特別なものになるのでしょう。ヒデイチさんはそんな考えを綴っていました。
エッセイの中で最も共感したのは「好きなひとのために、いつも料理をしている気持ちは、きっと幸せそのものに違いありません」といった文章です。平日・休日問わず、外食の機会を除けば、8〜9割は私が料理を担当しています。栄養バランスの取れた食事をつくりたく、料理は自分にとって気分転換にもなるので、自ら進んでつくっています。
ただ食事を用意するだけではなく、今日はどんな食材で新しいメニューに挑戦し、ふたりで驚きや喜びを分かち合おうかと、ワクワクしながらつくることも多いです。自分自身が美味しいと感じるのはもちろん、相手から「美味しい!」といった素直な反応をもらうと、満たされた気持ちになります。
食事はわずかふたり分、平日であれば夜だけという頻度の低さも手伝っているかもしれません。(もしも家族5人分の食事を毎日3回つくる状況であれば、さすがに「楽しい」とは言いにくいかもしれませんが)しかし、今のところ、料理を「つくらなければならない」と感じることはほとんどなく、むしろふたりのためにつくること自体が楽しみのひとつです。
時には、夢中になって無言で勢いよく食べることもありますが、音楽やラジオをBGMに「美味しいね」「またつくってほしい」といった会話が自然と生まれ、食事を囲む時間が豊かになります。
もし、ふたりのために料理をすることが「面倒」と感じるようになったら、それは関係に何か変化が起こっている兆しかもしれません。食事をつくること、そしてその時間を共に過ごすことのありがたさに、これからも感謝していきたいと思います。
Text / 池田園子
【関連本】『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』