新しい出会いが新しい自分に出会わせてくれる。

定年を60歳とするのは昔の話だけれど、心身ともに元気で暮らせるイメージが60歳なのは、今も昔もそれほど変わっていないような気がする。そういう意味では20歳前後で社会人になってから、さまざまなしがらみを一度リセットして人生をもう一度やり直したい40歳前後の人たちが多いというのもうなずける。なにを隠そう自分もアラフォー・リスタート願望のある勤務医である。昨年まで総合病院で勤務医をしていた。

総合病院での勤務は多忙の一言だった。休みに呼ばれることは少なくなったものの、入院患者さんの命に関わる急変時には確実に電話が鳴る。当直もほぼ眠れず朝まで働き詰め。20代とは違って回復力もなくなって、当直明けから2~3日間くらいはなんだかぼーっとしてしまう。加えて患者診療だけではなく、後輩の指導や学会発表の指導も行う。いろいろとやりすぎて「俺、何してんだっけ」となって、2023年に総合病院を辞めてしまった。

そんな当時、ある本に出合う。本の内容は日本の過剰医療について、だった。
確かに働きすぎ。自分が食べていくだけならこれだけ働く必要はない。組織を大きくしようとするから、必要以上に働かなければならない。人をたくさん雇い、組織を大きくしていけば、支払いが滞ったらどうしよう、もっと稼がなきゃという発想にどこかでなるだろう。でもそうなると自分の届けたい医療からどんどん離れていく気がしていた。医師ひとりに患者100人以上を診療するという異常さに気づかずに診療を続けてきた。勤務医ゆえに何人以上は診ませんということは言えないので、来るもの拒まずという状況になるし、それが勤務医の日常ではあるのだけれど。

急性期医療から離れてみて、やはり当時の働き方はずっとは続けられないと感じる。そして今、在宅医療勤務医をしていて1日多くて25人前後。それでも多すぎると感じる。移動時間や次の患者さんのことを思うと、ゆったり雑談をしている時間はない。どこか機械的に診療している感は否めない。やはりもっと違った形の、質の良い医療を届けたくなってしまう。そんな欲求に気がついて、この頃は医業開業の本を読むことが増えたのだ。

最近読んだ本がある。神戸で開業されているお医者さんの本だ。医師開業に関する本なのだが、何とも読みやすい文章が書かれている。お医者さんというと、なんとなく気難しい人が多いイメージなのだけれど、筆者の心の扉は他人に開かれている印象を持った。それで話を直接聞きたくなって、ついには会いに行ってしまった。

・個人と社会とどちらを変えれば世の中は良くなるのか
・専門分野の診断学について、一般のお医者さんより誇れるものはあるか
・開業するにあたってちょっとずつ広げていけばいい。コンサルを使わないで小さく商うこと
実務的な運営の話の流れで、上記の内容を話したように思う。備忘録もかねて以下に書いていく。

医業開業というとどうしても外部のコンサル会社に相談して、立地や従業員の数、集患はこうして何年後には法人化を……的な流れがお決まりだ。雇用や給与の決め方、役所や保健所にどう届けていいか分からないので、医師業務以外に対しては対価を払って他者に委託する医師は多い。でも、コンサルを使ってしまうと、結局は多数の従業員を抱えて過剰医療にひた走り、過去自分が所属していた多忙を極める環境になってしまう。枠を誰かに決められてその枠にハマりに行く個人では、確かに自分が求めている世界観ではなくなってしまう。

開業は自分が作る城。
自分が知らない仕事は一から自分が経験して自分ができるようになってから人に任せるのが大事だと教えてもらった。聞くと当たり前だが、実践するのはなかなか難しい。半年くらい食えなくても、これまでの蓄えを切り崩しながら、こじんまりやればいい。そう背中を押してもらった。

これまでの医師人生においては、どちらかというと個の力量を最大限まで上げるためにどうすればよいかを主軸に生きてきた気がする。それで結局何ができるようになったかといえば、丁寧に診療することで医療情報を整理し、過不足のない医療を提供できる技術が身についた(何も特別なことはなくて丁寧に診療するだけ。だから自分が医師として秀でている、と思ったことはない。ただ、現実的には丁寧に診療することができない医師も多い)。これは良かったこと。

ただ、自分が成長したシステムを多くの医師たちは持ち合わせていないのだから、社会としては何も変わっていないようにも感じる。今回お会いした神戸の先生との会話の中で、社会が良くなれば変わるのか、個人が良くなれば変わるのかといった軸を話されることが自分の心を揺さぶっていることに気づいた。

個の能力を最大化してみても、自分に見える景色は大きく変わらなかった。社会と自分の関わりが薄かったのかもしれない。小さな組織を持ち、大きな社会とのちょっとした関わりをしてみたい気持ちも芽生えた。

また自分の組織を持つというのは、ひとつの社会を持つことでもある。自分が切り取った世界は理想に近づけることが可能になる。個の成長で満足できなかった自分がいて、組織で成長すること=適正な医療を届けることを目的とした仲間とともに成長していけたら、という願望も再発見した。考えてみると仲間というのは目的が介在している。自分と思想を共有し、丁寧な診療を患者に届けるという当たり前の行為を行動指針にした診療所をやっぱり開きたい。理念のまま数字(売上)を気にせず行動したい、というのが自分にはある。

日本型の組織は往々にして「公転」を辞めて「自転」を始める、と言われることがある。
企業理念は早々に忘れ、金儲けを始めることを表した言葉。
社会を良くしたくて起業するはずなのに、営利団体となってしまっては何のための起業なのか。

新しい人と出会うことで、当たり前のことだけれど気づかなかったことが見えてくる。
心に新しい風が吹く。いわゆる壁打ちをしてもらったのだけれど、単なる壁打ちではなくその業界の先輩、そして人生の先輩との会話が楽しかった。初対面であっという間の数時間。あっという間だったけれどとても貴重な時間。

新しい出会いが新しい自分に出会わせてくれるのかもしれない。

Text / Dr.Taro

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