「百聞は一見に如かず」という言語化をした人は天才だなと思います。ヒト、モノ、コト。すべて興味を持ったら会いに行ったり、自ら体験したり。今日は、そうやって五感で感じることの大切さについて書きます。
週末、パートナーとともに京都府舞鶴市にあるブリーダーさんのもとを訪れ、ボストンテリアとの初対面を果たしました。この犬種は彼が長い間「いつか一緒に住みたい」と思い描いてきた犬です。彼は実家にいたころ他の犬種と暮らしたことがあったものの、ボストンテリアへの憧れは変わらず、まずは直接見に行きたい、触れ合いたいとのことで、ふたりで見学に行くことに。
彼は家でもボストンテリアの写真や動画を見ながら「かわいいなあ」と愛でていましたが、私は「かわいいのね〜」という反応しかできませんでした(嘘をつけないタイプ)。正直「どこがかわいいんだろう?」と思っていたのです。失礼ながら「どちらかというとブサカワの部類ではないか?」とも感じていました。
しかし、現地でボストンテリアと対面してから、自分の感想は激変。ブリーダーさんには、事前に要望として出していた「落ち着いた、おとなしい性格の子」をご準備いただいていたこともあるでしょうが、その子の穏やかな佇まいや美しい顔立ち、毛並みに心惹かれていたんです。
一般的にボストンテリアという犬種は温厚で優しく、友好的な一面から「アメリカの紳士」と呼ばれています。ボディの白と黒のバランスがタキシードを着ているふうに見えることからも、紳士という呼び名は巧いと感じます。
その子は黒目がちで、白目の部分もクリアで綺麗で、しっとり艶のある毛並みで、品のある見た目が印象的でした。性格もおっとりとしていて、ペロペロと舐めてはきますが、勢いよく飛びかかってくることもなく、かわいいなあと心から感じました。気が早すぎますが、広い空間を散歩している姿もイメージしていました。
しかし、もともと犬が苦手だった私にとって、こうして犬をかわいいと感じる自分の心、そして犬自身も私にフレンドリーに近づいてくる経験は、新鮮で驚きでもありました。
実際のところ、犬を飼った経験はないに等しいです。10代前半頃、母がどこからか犬を引き取り、ほんの1ヶ月ほどだけ一緒に暮らしました。「リュウちゃん」と名付けたその雄犬は病気を抱えていて、私が犬という生き物に慣れ、一緒に暮らす楽しみを味わう前に亡くなってしまったからです。
そんな私が、今年の2月からはパートナーの提案にのる形で、ヘアレスキャットのバンビーノと暮らしています。猫との生活も初めてでしたし、そもそも猫や犬などの動物と一緒に暮らすことなど、大人になってから考えたこともありませんでした。ひとりだと自動操縦の人生を送る傾向がありますが、そこに誰かが加わると、思いもかけない選択に自らのってみることもあるわけです。だから人生は面白い。
そうして半年以上にわたり猫と同居してきたことで、私も動物と暮らすことに慣れてきたのかもしれません。そのためか、ボストンテリアと対面した際に自然と親近感が湧き、特に黒目がちな瞳やピンと立った耳が「ぐら」(猫)と似ていることもあって、一層かわいらしく感じられたのかもしれないと思います。
私たちは、来年には京都市内に引っ越して、広めの家で猫とボストンテリアと2人+2匹で暮らすことを「目標リスト」のひとつとして掲げています。犬が加われば、散歩という新しいやることも増え、そのおかげで楽しみのきっかけが増え、日々の生活に変化がもたらされます。新たなメンバーが加わることで、日々の気づきや考えること、感じることもまた変わっていくのだろうと、今から楽しみにしています。
まとめです。今回の見学を振り返って思うのは、やはり現地に足を運び、五感をフルで使うことの大切さです。人との出会いもそうですが、何か気になることがあれば現地へ赴き、直接感じることができる瞬間を持つことで初めて、心の深い部分に刺激を与えられるのだと改めて実感したのでした。
Text / 池田園子
【関連本】『ボストン・テリア版 家庭犬の医学』