講演やイベント、聞き続けるだけだと疲れません? その対策と実践。

長時間、講演やイベントで話を聞き続けたり、映画を視聴したりして「情報を受け取る側でい続ける」と、疲れを感じることはありませんか。私は受け身的でいなければならない時間、眠気に襲われることがあります(#集中力に欠ける人)。あくびを抑制したり、口を閉じたままあくびをしたり、手をつねったり伸ばしたりして、なんとか寝ないように努めているほど。

そうした自分の傾向を踏まえ、この世界には私のような人も多少はいるのでは? と考え、試してみたことについて書きます。

10月下旬、トークイベントに登壇する機会がありました。主催者と登壇者はたくさん話し、お客さんとして来てくれた方々はたくさん聞く。「トークイベントなんだから当たり前でしょ」と思われるかもしれませんが、スピーカーとお客さん全員で「場」はつくられているし、その場にいる全員が参加者。だから、お客さんを登壇サイドにちょいと引っ張ってくるのもいいでしょう。「ちょっとした刺激を挟もう」と考え、お客さんを巻き込んでみました。

私のターンで持論を述べたあと「今日はここにライターだけでなく、編集者の方々もいらっしゃいます。私よりも先輩、ベテランの方もいる。皆さんそれぞれの考え方を伺いたいです」と無邪気に言って、順に指名して持論を披露してもらいました。「正解」はないから、その人なりの考えをシェアしてほしかったんです。

不意に当てられた方の中には、突然当てられることを望まない方もいるでしょうが、それでも皆さんあまり嫌な顔をせず反応してくれました。あの場には私のように、人の話を聞いて眠くなる方はいなさそうでしたが、それでも一瞬、場を良い意味でかき回せたのではないかと思います。

ご自分がお客さんの立場で聞く側になるときのことを、実体験を交えて思い出してみてください。登壇者がお客さんに対して「〜〜について、どうですか? そこの方」などと話を振ってくることは時にありませんか。私は何度も経験しています。

まさか、目立たない自分に振られるとは思っていなくて、俊敏な反応ができず、情けない気持ちになることは多々ありました(苦笑)。しかし、そうした刺激が入ることで気分が切り替わり、ぼんやりしていた頭がリセットされ、目もぱっちり開き、話を真剣に聞ける態勢に戻れる利点も。

静かな水面にポンと石が投げ入れられ、波紋が広がっていくような感覚です。ひとつの石は場の雰囲気を変えるだけでなく、お客さんに今ここで話されていることを「これは自分ごとだ」と捉え直すきっかけをもたらすことがあると感じます。

ひたすら聞いているという受け身の時間は、私の場合とても疲れます。よく学校に通えていたなと思うほど。基本的には授業スタイルであっても、自分で手を動かしたり、途中ワークショップが挟まったりすれば、疲れることはありません。

興味のあるテーマであっても、ただ聞いたり見たりし続けるだけだと、しんどさを覚えることがある。以前、昼間に映画上映会+監督や関係者のトーク(合計3時間)へ参加したあと、数時間あけて夜に小さな演奏会に参加したことがありました。

周年パーティのメインイベントとして行われる演奏会にワクワクしながら申し込んだはずなのに、昼間3時間受け身側でい続けていたせいか心身が疲れていて、あまり楽しめなかったんです。

こうした経験から、自分の場合は「何かをじっと受け止め続ける」ことは1日に1回が限界であると感じています。それがどれほど楽しい内容であっても、受け身的な在り方だけでは疲れるのです。

逆に、自分が少しでも参加する瞬間があれば、受け身状態に変化を加えることができて、疲れにくくなるような気がします。今後も登壇の機会があれば、お客さんを巻き込む方法を取り入れていきたいですし、逆の立場の場合は受け身になり過ぎない方法を模索したいと思います。

Text / 池田園子

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