「1年無職になりたい」と考えていた理由。

「2025年は無職になりたい」。数ヶ月前、そんな思いを本気で抱いていました。23歳で社会に出て、15年仕事をしてきました。ここらで1年完全休業するのもよいのではないか、と。

理由は、学びの時間を好きなだけ取りたいから。事業や仕事に向き合う中で、自分はあまりにも勉強不足だと痛感したからです。だから、今の自分が欲しているカテゴリの本、勉強会・セミナー……1日の大半の時間をインプットに費やしたい、と。

睡眠や食事、運動、家事、家族との交流など「生活」に必要な時間を差し引くと、私の場合1日あたり約12時間が可処分時間。うち、一定の仕事時間を引いても、ある程度の勉強時間は確保できる計算になります。

ただ、他者と関わりながら仕事をしていると、スケジュールが理想通りに進んでいくことはあまりありません。大なり小なりトラブルが起きたり、突発事項に対応するため、予定を変えざるを得なかったりします。そんなときは、学びや新規ビジネスづくりのために確保していた自分とのアポ時間を、それらに充てるしかない状態。自分の調整不足、起き得る問題や対処時間のバッファを設けられていないだけ、ともいえますが。

自らの予定を完ぺきに自分主導にし、勉強したいだけ勉強できるようにしたい。となると、仕事を辞めるのはどうだろう? 1年間だけ仕事を完全に辞めて、勉強に集中する。会社役員を辞めて、個人事業主も廃業する。贅沢をせずに地味に暮らせば、1年無職でも生活には困らない——そんなことを考えていたんです。

が、最終的には「無職になる道」を選びませんでした。メンターではありませんが、重要人物にこの考えを打ち明けたところ、「仕事をしながらでも勉強はできる」との指摘に一定の納得感があったからです。自分がする仕事、しない仕事を決めて、しないと決めたものはしない。それにより生まれるスペースに勉強を入れればいい、となりました。

ベターな決断をしたと、今では思っています。というのも、私が勉強したい事柄は基本的に仕事に直結するものだから。そうなると、インプットしっぱなしでは意味がなく、得たことをすぐ実践に移して結果を検証し、うまくいかなければ軌道修正して、また検証し……といったサイクルを回せる機会があるに越したことはありません。

テーマや目指すことによっては勉強だけに集中する期間が必要な場合もあるでしょう。ただ、私の場合は、仕事と勉強が密に関わっているため、両立する方が合理的でした。学んだことのうち「やろう」と決めたものは、すぐに現実に落とし込んでいます。

とはいえ、「期間を決めて無職になること」を諦めたわけではありません。締め切りの存在しない世界、可処分時間を好きなだけ知の分野に投資できるのは、なんて贅沢なことでしょうか。

事業や仕事に直結しないけれど情熱を傾けたい興味関心事。そんな分野に巡り合えたとき、無職の状態を手にしたいと考えています。

Text / 池田園子

【関連本】『しないことリスト