「変わらない関係性」など存在しない——それを理解した上で、私たちはどう決断するか。そんなことを考えたのは、大草直子さんの最新刊『見て 触って 向き合って』を読んでいたときのこと。
最後に収録されていた「離婚の話 パートナーシップの話」で、2024年夏、離婚を経験したことが書かれていました。タイトルの通り、離婚の話でありながら、家族の愛やパートナーシップの愛の形が綴られています。
離婚に至った主な理由として語られていたのは、夫婦共々「男女の関係」を大切にしたかったけれども、それが叶わなかったから。「気づいたら男女の恋愛感情は終わってしまっていました」(本文ママ)とも語られています。
双方、いや一方でも「家族やチームとしての愛はある。だけど、恋愛感情はなくなった」と思うと、ふたりの間に恋愛感情を蘇らせるのは不可能です。脳の仕組み上、無理。
大草さんの言葉は、多くの既婚者やカップルの心の内を代弁しているようにも思えました。私だってそうです。人として一番大事なパートナー。男女としての恋愛感情のうち、「恋」は抜けて「愛感情」が100%です。
カップルのほとんどが、交際初期の頃は「恋人」として関わります。お互いを「恋愛対象」として意識し、その関係性に心躍らせた日々があったはず。
その後、日々の暮らしが積み重なっていく中で、関係性や距離感は少しずつ変化していきます。家族や家族的な関係という温かな結びつきが育まれる一方で、恋愛相手としての緊張感や輝きは、いつしか日常の中に溶け込み、薄まっていく。
大草さんの決断は、「こう生きたい」という自分の本音に、真摯に向き合う勇気を示しています。それは、必ずしも離婚という選択につながるものではありません。
大切なのは、お互いの考えを理解しようと努め、尊重し合えること。他人ですから100%理解できるなんて思うのは傲慢です。ただ、分かろうと努力する。その上で、家族としての絆を深めていきたいのか、それとも男女としての関係性を大切にしたいのか。その答えは各人で異なるはずです。
大草さんのこのエッセイは、多くの人の心に静かな波紋を広げていると思います。多くの人が抱える悩みに、ひとつの光を投げかけてくれたから。「家族」と「恋人」という、ある種対極にある関係性の間で揺れ動く気持ちはおかしくない、と示してくれているから。
自分の心に正直であることは大切です。それが、どんな選択をするにせよ、その先の人生を支える力になるのではないでしょうか。
Text / 池田園子
【関連本】『見て 触って 向き合って』