「ふたりの共有日記」がくれる小さな幸せと大きな価値

10月から、パートナーと1冊のマンスリー手帳を使い始めました。100均で買ったスリムでシンプルな手帳。交換日記と呼ぶほどではありませんが、その日の思い出や感想を一言程度書き込む「共有日記」です。

気づけばもう3ヶ月目になりますが、自然と続いているのは、強制や義務ではなく「基本はふたりで書くけれど、書きたい方が書く」スタンスをとっているから。

手帳はパートナーの部屋に置いてあり、私が彼の部屋でご飯を食べたあとや洗濯物を干した後など、ちょっとした隙間時間に書くことが多いです。内容は「今日の鍋美味しかった。あの鍋の素はリピート確定」といった食事の話(8割方、食べ物の内容です)や、「今日は食事中の会話が盛り上がった!」といった何気ないことばかり。特筆することがなければ、同居している猫や猫を妖怪風にしたイラストなどを書いて埋めています(笑)。自由です。

彼が「明日朝読むの楽しみ」とにこにこするのを見ると、私も自然と幸せな気持ちになります。彼が書くのは1週間に一度程度ですが、レアさがうれしいとともに、クスッとしたり温かい気持ちになったり。

この習慣を通じて再認識したのは、書くという行為の持つ力です。日記にはそのときの感情や出来事を記録し、あとから振り返る楽しさがあります。ひとりでつける一般的な日記もよいものですが、ふたりで共有する日記にはまた別の魅力があるのは確か。

何気なく書いた「○月○日に○○へ行った」という端的な記述が、その日を鮮明に思い出させてくれる。たった1分であっても「書き留めておく時間」に投資することには、とても大きな価値があると感じています。

ふたりの思い出を文字で残していく。その行為自体が、日常に温かみをもたらします。簡単に始められる習慣なので、もし興味を持った方がいたら試してみてください。共有日記がくれる普段の小さな幸せと、未来に広がっていく大きな価値を体感できるはずです。

Text / 池田園子

【関連本】『Husband Wife Back & Forth Journal ペーパーバック