みんながどんどん先へ行き、置き去りになっている気分になることがある。
二人目の育休中だった。今となっては昔の話だけど、私の育児期間は「赤ちゃんとの幸せなひととき」とは程遠い、ひどいものだった。親元が遠く、頼れる相手も近くにいなかった。上の子のイヤイヤ期と赤ちゃん返りが重なって、癇癪を起こすたびに育児書で読んだ「あなたが大事」を、封印呪文のように繰り返したけど、まだ意思疎通もままならないのに効くわけもなかった。その間にも二人目はお腹を空かせ、オムツを汚す。「知育」だとか「非認知能力」だとか、「うまくやる秘訣」とか「結局は子どもへの心をこめた寄り添い」とか「無理せず自分らしく」とか、追われる日常にその言葉のどれもが牙を剥き、私を深く傷つけた。やさしい色に着色した金平糖みたいな言葉に触れるほど、私の孤独が浮き彫りになって追い詰められていく気がしていた。
上の子の、自らの手にあまる感情にも、下の子の、生きるための最低限のお世話にも、十分なケアができていない。朝から顔も洗わず、髪もとかしていない、ろくにご飯も口にできていない私は、泣きたい気持ちで思った。こんなにかわいいのに、なんで表面張力ギリギリの私のもとに生まれてしまったんだろう。シンクには洗い物が溜まり、やりかけの手続きはいつまでも放置され、部屋は汚れ、洗濯機だけがかろうじて回っていた。
地獄みたいな毎日だった。そんな日常の中、夜に下の子の泣き声で目を覚まし、スマホ片手に授乳していると、SNSのタイムラインに仲間たちの近況が流れてくる。『本を出した』『すごい人に取材できた』『ラジオやテレビに出演した』『会社をつくった』と書かれた、その全部が眩しかった。私がここで、子どもの世話(しかもろくにできていない)をし、生活に埋もれている隙に、みんながどんどんすごい人になっていた。それを沿道や客席、対岸から望遠鏡でかろうじて見ているみたいな気持ちだった。全部みんなが頑張ったからなのに、一人で勝手に傷ついて、「傷ついた」という安易な書き込みで誰かを傷つけてしまいそうな身勝手さだけを必死で抑えていた。今の暮らしを捨てることはないにしても、ないがしろにしてしまいそうな、どこかで疎み、憎しみに転じてしまいそうな自分が恐ろしかった。
そんなとき、上沼恵美子の動画が流れてきたのだ。地元大阪で何度も見てきた上沼恵美子だった。早口なのにテロップなんて必要としない滑舌のいい関西弁が懐かしかった。ベビーカーを押して街を歩いた若い頃の話、子どもが小さい頃外食でろくに食事できなかった話、くだらないママ友との交流、家で作るそうめんの話、そんな話を軽快な身振り手振りで話す上沼恵美子をぼんやりと見て、束の間今を忘れて時々笑って、そのときにふと気づいた。この人、めちゃくちゃ生活してるな、と。
エピソードトークの全てが、掃除し、洗濯し、ご飯を作り、生活をしてきた人の話だった。嫁姑の壁にぶつかり、気の利かない夫に怒り、子どものことで奔走し、その全てに向き合い、暮らしを営んできた人の話だったのだ。上沼恵美子が笑う過去が、ぴったり自分に重なった気がした。そして、今の暮らしが間違ってないと、いつかきっとそう思えると、上沼恵美子が言い切ってくれた気がした。
どうしようもなさにまみれ、生活に歯痒さを覚え、みんなを羨んでばかりいるけれど、この地獄に向き合うことがいつか私を変えるかもしれない。少なくとも、正しくも美しくもない生活について考えられるようになり、この経験はいつか私を強くするのだろう。そんな小さな希望が見えた気がした。
誇張なく、私はあの地獄を、上沼恵美子がいたから乗り越えることができた。だから、もし今あのころの私と同じようにどうにもならなさを噛み締める毎日を過ごしている人がいるのなら、TVerで今すぐ上沼恵美子を見てほしい。上沼恵美子は今日も変わらずそこにいて、私たちの何ひとつうまくいかない、混沌と乱雑の美しい生活を照らしてくれている。
Text / 山本莉会
▼山本莉会さんによるコラムを他にも読む▼
【関連本】『この世の喜びよ』
「SAVOR LIFE」では、生活をより豊かにするためのアイデアや情報を発信しています。会員様限定のお知らせや限定コンテンツをニュースレターでお届けします。ご登録ください!