京都に引っ越した。豊かさを求めて。
総合病院でへとへとになるまで働いて、お金を使う時間がないほど仕事に追われる生活。
勤務医をしてトップの野望実現のために、診療する患者数がどんどん増えていき、「今誰を診察しているんだっけ」「この患者さんは自分にとってどういう関係性の方なんだっけ」を考える日々。
一方で、妄想してみる。株式投資でFIRE(一生分の資産形成をした状態)でまったく働かなくても済むような状態でぐーたら過ごす日常を妄想してみる。
どれも一長一短。自分は程よい休暇と、程よい社会貢献と、そして人と愛情深くつながることがバランスよくある生活を望んでいたんだな。
京都に来て、銭湯に行ってみたくなった。
歩いて行ける船岡温泉に注目。ネットで見ると雰囲気最高。レトロな外観に興奮。
調べてみると有形文化遺産だそうな。温泉という名称でありながら温泉は湧いておらず、電気風呂を導入することで温泉と名乗って良い。そんな史実があったとYouTubeで紹介されていた。
船岡温泉へ向かう道すがら。千本通を曲がって少し進むと酒屋が右手に見えてくる。時刻は20時を少し回ったころで、店の外の灯りは入口はすでに消されていて、店内の電灯が見えるだけだった。
ご高齢の女性店員の姿がある。パートナーが「まだやってますか?」と尋ねると、どうぞどうぞと手招いてくれた。
「お店は21時まで。でも20時を過ぎると電気を暗くし始めて、21時にシャッターを閉めるんですよ。でも、お店は開けているのでどうぞ見て行って」。とても上品で優しい語り口。
「散歩ついでにたまたま通りがかっただけで、ふたりとも小銭しか持っていなくて、今日はお買い物できないんです」
そう告げると、そんなことは気にせずに試飲もできるので、いろいろ試して帰ってと勧めてくれる。
今出会ったばかりの自分に対し、呼吸をするかのように居心地の良い空間を作ってくれる店主に脱帽してしまった。
「高島商店」といって日本酒も焼酎もワインも、そして鯖缶などお酒のアテになるものも取り揃えている。お客との会話が楽しいらしい。話し好きだけど実は配達をメインにやっている酒屋であること、週に一度はチラシをつくって、息子の妻が巻頭コラムを担当していること、営業時間のこと、お母さまの看取りを自宅で行ったことなど、いろいろな話をしてくださった。
人と関わることが本当にお好きなようで、出会って数分でなんだか懐かしい場所に帰ってきたような安心感がある。そして、この人からお酒を買いたいなあと思う。こういう顔の見える関係がとてつもなく豊かに感じられる。もっと言えば自分が診療を行う患者さんがこういう関係性の延長であってほしいと願う。
酒屋さんに集まって交流ができて、その中のどなたかの顔が見える関係性から「調子が悪いから診てくれないか」と頼まれる、おとぎ話のような世界観。自分の生活と重なった世界に生きる患者さんを診療をできる喜びがそこにはある。
病気になること、そしていつかは死ぬこと——これが忌み嫌われるだけのものになってしまった。でも、地域の人たちとのつながりがあることで、僕らは豊かに生き、豊かに死にゆくことができる。死は生きることの延長線上にあって、つながりをなくして生きることの方がよほど貧しく怖いことだという思いがどんと込み上げる。
船岡温泉を目的にした散歩道。なんと素敵な人との出会いを得たのだろう。
勧められたお酒をまた別の回でレポートする日を期待していてほしい。
Text / Dr.Taro
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【関連本】『日本酒を飲みに行くなら』
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