味の深みがわからない

味覚がわからない。

正確には、「味」に関する表現が理解できない。まがりなりにも文章を書いて暮らしているくせにそんなことすらわからないのか、仕事やめろと誰かから叱られそうで今まで言ってこなかったのだけど、本当はまるでわかっていない。

「まったりとした味」は、「やわらかくおだやかで、コクのある味わい」のことをいうらしい。「やわらかでおだやかな味」ってなんですか。やわらかとは本来、触感や性質のことを言うのではないですか。おだやかとは状態を表す言葉で、天気とか人の気性に使うのではないですか。ちなみに、辞書によるとコクとは「味わえば味わうほど心にしみるような、すぐれた趣」のことだという。心にしみる? 「味」のことですよね。心にしみるって、実家の味付けに似てるとか、元カノのパスタっぽいとか、そういうことなはずで、それが心からしみだしてきて味に加わるとでもいうのか。こうなるともう訳がわからない。正直、お手上げである。

「軽やかな味」。待ってくれ。なぜ味に軽重を持ち出した。軽やかなを辞書で引くと「動きが軽く感じられて、気持ちの良いさま」のことを言うらしい。味に動きがあるというのか。大丈夫か。一口食べたら甘い、次はしょっぱい、みたいなこと? もしくは、味の変わるガムみたいな話? 味に軽重はないはずであり、それを感じてしまう時点でちょっと普通じゃなさそうな気配がある。同じような理由で「重厚感のある味わい」もわからない。

特にわからないのはワインだ。「チャーミングな味」。チャーミングとは「魅力があるさま。人の心を引きつけるさま。魅惑的」のことであるらしい。どのような相手に魅力を感じるかは、個人差がかなり大きい領域である。みんなが同じ相手を好きだったのは小学生までだったし、「あの人ってチャーミング」に全員を賛同させる状態は危うい。みんなが好きな人に恋心を抱けずに、友達から「アイツはほんとにやめときな」と言われがちな影のある人がタイプだった私はそう思う。影があるワインがあったら飲んでみたいけど、そんな表現は聞いたことがない。

文句ばかり書いたものの、それらの表現が間違っているとか嫌いだというわけではなく、ましてや表現に物申したいとか苦言を呈したい訳でもない。誤解を生む前に言っておくと、私は、おいしいものはおいしい、まずいものはまずいとわかる真っ当な味覚の持ち主で、ただ率直に言って、これらの表現が理解できないのだけというか、言葉で表現されるような味に対する繊細な機微がほとんどわかっておらず、だから絶望的に料理のセンスもない。私の味覚はすぐに迷子になり、作っているうちに、だんだん味がわからなくなる。しょっぱい気もするし、甘い気もするし、それこそコクがあるような気もしてくる。そうなったらもう何をどれほど足せばどんな味になるか見当もつかない。だから味に関する表現のすべては、料理のセンスのある人が作ったのだと思っている。多分。

「わかる」と言える味覚を持つ人たちがその言葉を使い、「確かにこれはまったりしている」と共感され、徐々に浸透していったのだろう。そうして味のわからない私の周りに、また今日もわからない表現が増えていく。さみしい。私もわかりたい。私もみんなと同じ味覚で共感し、食を楽しみ、心からの表現がしたい。

「こっくりとした味わいですね」「涼しげな味です」「親しみやすい味」「キリッとした」「余韻がある」「力強い」「はつらつとした」……。わからない。私には何もわからない。それでも、本心が悟られないよう、私はニコニコして「わかります」と言っている。後に続ける言葉に迷い、変な間が空き、隙間を取り持つためにだいたい「……わかります、おいしいですよね」と付け加えている。わからないと胸を張って言う勇気がないのと、表面的でもいいからわかっているふりをして生きていたい。

些細な味の機微がわかり、表現できるようになりたい。「おいしい」だけでは伝わりきらない共感を分かち合いたい。私の作った新たな表現が共感され、みんなに「わかる」と言って迎え入れてもらいたい。できそうにないから、私は今日も味の表現に惑い、「〜な味だ」と話すみんなの前で「わかります、おいしいですよね」と急拵えの笑顔で笑っている。

Text / 山本莉会

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