今の家に引っ越してきたとき、玄関の靴箱の上にスペースがありました。パソコンを置いて隣にメモ用のA4用紙を置いて仕事できそうなくらいの面積。玄関でスタンディングワークしてもいいわあ。
……何が言いたいかというと、感動したんです。庶民的なひとり暮らし賃貸物件の玄関に、そんな余白は1%もないと言っても過言ではありません。いかに余白を削り、コンパクトで効率的な収納をつくるかが考え尽くされています。玄関にはつくり付けの細長い靴箱が天井まで伸びている、以上。その靴箱の目線くらいの位置に、なんとか空きスペースをつくり、鍵を置くのが恒例でした。
さすがファミリー向け賃貸物件。で、我々は「ここ、鍵置ける! わーい!」と飛び上がって喜んだのですが、そこでTAROが穏やかな表情で一言。
「キートレイ買わないとね」
昔の私なら「いいね」と即賛同し、レザーか何かのちょっと上質なキートレイを注文していたと思います。でも、約300個のモノを手放して人に譲った経験を経て、別人のように変わりました。そう簡単にはモノを買いません。
「キートレイ?」
無表情でTAROを見つめました。TARO、今まで一度でもキートレイなんて持ってたか?
鍵を部屋の至るところに置いたり、3〜4ヶ月に一回は「鍵どこぉ〜?」と捜索したり、「鍵がない〜!」と焦るTAROに巻き込まれて「もしかして今頃洗濯機の中では……?」と冷や冷やしたりするのが常でした。まったく、心臓に悪いんだ。
人は不思議なもので。スペースができると、そこに何かを置きたくなる、埋めたくなる習性がある。そんな発見をミニマリスト系の方の発信で見聞きしたことがあります。まさに彼にもそれに近い現象が起きているのではないか。
京都を舞台にした京女と「よそさん」とのミステリー作品『告白の余白』(下村敦史)を読んでいて、今佳境に入っているのですが、ここで京都人が遠回しな皮肉で対応するならどんな言葉になっただろうか? と考えます。
「いつも決まったとこにちゃんと片付けて、よう整うてはりますからなあ」とか? この作品では、気の利いた皮肉の応酬が繰り広げられ、それが面白いのと学びになるのと怖いのとで、作品の虜になっています。
当時この本をまだ読んでいなかった私は、反射的に「買わんでいいよ! 何か使えるモノ探すよ!」と面白味ゼロのセリフで阻止したのでした。「生きている間、あらゆるシーンでボケる」ことが、この先の私の壮大なテーマです。
そのときにひらめいたのが「あの箱の蓋、使えるかも!」というアイデアでした。
あの箱とは、MAD ET LENの鉄製の器が入っていた上質な紙箱のこと。TAROと出会ったころに教えてもらい、私も2021年にMAD ET LENの琥珀樹脂(アンバー)を購入して使い続けていました。使用可能期限があるかは知らんけど。
天然石や溶岩、琥珀樹脂などが「ポプリ」として器に入っていて、そこへ専用の天然成分だけでできたオイルを垂らして使うルームフレグランス。当時20,000円くらい(今は値上がりして25,000円)と決してお安くはなく、香りも見た目も気に入っているので、今も使い続けているのです。
そして、私もTAROも引っ越しのたびに、MAD ET LENを箱にしまって持ち運んできました。器に入った石類が飛び出ないよう、移動時に専用の箱に入れておくと安心、という考えがあります。でも、箱を使うのは引っ越しのときのみで、普段はクローゼットにしまわれたまま。
しかし、この箱の蓋、見た目も色合いも高級感があって、かなり厚みがあって丈夫なのです。
「これ、鍵置きにぴったりじゃない?」ということで、ふたつを並べてみました。TAROも「いいね」と気に入ったようです。
すると、驚くべき変化が。鍵を行方不明にして騒いだり、ポケットに入れたまま洗濯しそうになったりしていた人が、比較的高頻度でそこに鍵を置くようになりました。だいたい2〜3日に1回くらいは置いてますね。
使い始めて1ヶ月半。ふたつ並べた蓋、そこに鍵が収まっているのを見て、よきよきと穏やかに満足しています。買わない生活は創造的で、楽しい。
Text / 池田園子
【関連本】『告白の余白』
「SAVOR LIFE」では、生活をより豊かにするためのアイデアや情報を発信しています。会員様限定のお知らせや限定コンテンツをニュースレターでお届けします。ご登録ください!