倉田真由美さんの夫、故・叶井俊太郎さんの闘病記であり、家族の記録とも言える『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』を読みました。一部の思想が自分と近い方がSNSで紹介していて、興味を持ったんです。著者である倉田さんは「標準治療以外の選択をした人の闘病記はほかになかった」といいます。
がんと診断された多くの方が選択する「標準治療」のひとつが抗がん剤治療。それを「しない」と決めて、自分らしい生を全うしたいという強い意思を持ち続けた叶井さんの姿勢は、私自身の考えにも重なります。
抗がん剤治療については、医師の間でも見解が分かれますし、それで回復された方もいれば、治療の副作用に苦しむ方もいます。私は抗がん剤=劇薬、という認識です。髪が抜け、吐き気が起き、食欲がなくなるなどの副作用の数々を聞くと、体内でただならないことが起きていて、身体が悲鳴を上げていると感じるのです。
とはいえ「じゃあ、あんたは身体にとって自然なことしかしていないのか?」と問われるとNO。矛盾はいろいろあります。低用量ピルを飲んで月経をコントロールしていますし、たんぱく質は肉や魚、卵、植物からだけでなく、プロテインの粉末というケミカルな食品も摂取しますし、日常生活では持たないような重量を使って筋肉を育てたりしています。
でも、これらは身体に深刻な症状が出る類のモノではありません。私は「ダメージ」に分類される悪作用をもたらす薬を体内に入れたくないし、処置も受けたくないという考えなだけ。
だから、もし自分ががんになったとしても、抗わずに、自然な形で生を終えます。抗がん剤治療は受けない、延命治療はしないと、がんに関する知識を持ってから、心に決めています。家族や他の人の存在は関係なく、自分の心身の行方は自分が決めること——そう考えています。(私たちは「生かされている」存在ですが、化学的な延命を施してできる限り長く生き続けるべき、と定められているわけではありません。自然に生きていられる間、命を全うすればいいのだとも)。
しかし、本書を読んで気づかされたのは、「抗がん剤治療を選ばなければ、穏やかに過ごせる」という単純な状況ではないということです。叶井さんは、抗がん剤治療をしなかったこととは関係なく、数え切れないほど手術を重ね、転移を繰り返し、痛みや不調と闘い続けました。手術が成功しないこともあり、失敗からくるさらなる苦しみを背負いながらも、病と共に生きる日々を過ごされていました。
それでも、叶井さんが一貫していたのは「延命のための抗がん剤治療はしない」という姿勢。無理に生きようとはしなかった。生と死の在り方を自らデザインし、自分のwant toを貫く。それが叶井さんの選択であり、覚悟だったのだと思います。
カップラーメンを食べては苦しくなっている、時に吐く……を繰り返す、学んでいるのか学んでいないのか分からない、とにかく自分の食欲に忠実すぎる叶井さんに、倉田さんは手を焼いていましたし、怒りの感情も正直に書かれていましたが(笑)。
倉田さんは記録し続けていました。ページをめくるごとに、夫の病状が日を追うごとに変化していく様子、数日前まで話していた人が別人のように衰えていく現実に驚き、戸惑いながらも、共に過ごす時間を慈しむ、妻の心の揺れが綴られています。
叶井さんは一度も「抗がん剤で延命しておけばよかった」とは言わなかったそうです。自分の選択を後悔しなかった、ということ。その生き様はかっこいいです。
そして「やりたいことはやった(だから、いつ逝ってもいい)」と常々言っていたそう。家族としては少しでも長く生きてほしい、という思いはあれど、治療方針やどう生きるか、どう死ぬかは本人が選択する事柄です。だからこそ、当たり前ですが、強制はできない。
常に「やりたいことをやっている」状態を保ち、その積み重ねが「生ききった」と言える人生につながっていく。そんな生き方に改めて強い憧れを抱きました。
生きること、病と向き合うこと、そして死を迎えること。その全てにおいて、自分の意思を貫いた叶井さんの姿勢と、それを支え、記録し続けた倉田さんのまなざしに触れられた、読んでよかった1冊でした。
Text / 池田園子
【関連本】『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』
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