私は、差別するあなたを否定できない

差別が止まらない。

いろんな人がいる。だから、いろんな考えがあるし、対立する意見もある。守りたい何かは人によって異なり、大切であればあるほど傷つけられたくないと願う。防御のために攻撃し、誰かに牙を剥くことがそのコミュニティにおいて正義になる瞬間もある。よく言ったと賞賛されるとき牙を剥かれた誰かは傷つき、閉じ、世界は交わらず、あらゆる対立構造の中に落ちていく。

クォーターの私は、幼少期から差別に直面することが多かった。わかりやすいので言えば「人種」で、面と向かって「その国の血が入っている人は嫌いだ」と言われたこともある。それを言った子のことは友達だと思っていた。この国で生きることは多くの石が飛んでくることで、その一方、国をまたげば、「日本人」である私に対して別な形の石が飛んでくる。石を投げられている私を見て、代わりに怒ってくれる友人もいた。先生に告げ口し、その子のおかげでいじめが止まったこともある。私を差別した子は先生に叱られ、言ってしまった言葉の重みよりも叱られた事実の前で泣いていたけど、私は差別するあなたを否定できないと思っていた。

差別する人の気持ちがわかる。知らないことは怖く、同じ怖さを共有できる仲間とその気持ちを分かち合いたいと思う。それで結束は強まるし、結束感は強ければ強いほど安心だ。皆で結束し、安全な場所から誰かを見下すのは気持ちいい。磐石な地盤の上に立ちたがるのは、人間に備わった欲の一つだと思う。生きるための本能だと思う。

そこに立つためには、何かを虐げなければいけないこともわかる。それが自分と同じ人間であるのなら、地盤はより強固になるはずだ。自分がしているのは大切な何かを守るための主張で、そこにあるのは正義だ。正義を主張した結果、私が勝手に傷ついていったに過ぎず、それはお前の弱さだという。確かにそうなのかもしれない。あなたの目を通して見えているものを、私はまた否定できないと思う。

私は愚かだから、差別する人の気持ちがわかる。未知なるもの、知らないものは怖い。知らないから、彼らが自分を脅かすのではと勝手に想像する。想像は膨らみ、やがて想像の中で肥大化する。過去の小さな事件と結びつけて、大きな架空敵を脳内に出現させ、やがてやってくるそれの暴走を食い止めるのは、今この瞬間しかないと石に手を伸ばしたくなる。石を手にしたら投げたくなるのが人の常だ。それこそが差別の生まれる泉だと思う。

正しくありたいと思う。公平でありたいと思う。しかし、そんなこと無理だとも思う。差別するなと言いたいけど、私の心に少しだけ、差別する人を見下してしまいそうな感情がある。その自分が石を握っていないと、本当に言えるのか。

私たちに欠如しているのは過剰な言葉の引き算だと思う。そしてもしかすると、私たちにはまだ獲得していない言葉があるのではないか。投げつける石としての言葉ではなく、一緒に考える言葉だ。なんでだろうね、と問いかけ、ほんとだよね、と言うような、何も生まない、結論を出さない、そこに存在し、消えていくだけの言葉だ。しかしその言葉はきっと、私たちを少しだけ生かしてくれると思う。

私を差別するあなたと一緒に、自分に備わった愚かな人間の習性を一緒に笑いたい。なんでやめられないんだろうねと、一緒にダメな人間性にあきれたい。やめろと言われるだけではやめられない、高尚に生きることができない私たちを認め、そのままでいるしかない絶望の中で手をつないでいたい。そしてできることなら、そのクズな人間性に一緒に抗いたい。

この世は全部クソだと思う。人間は愚かでいつも卑怯だ。そんな人間がのさばる世の中がきれいなものなはずがない。終わってるな、と思う。だから、分かり合えた瞬間だけは、この世界からエスケープして、私らってほんまになぁと互いの目を見て話したいのだ。

Text / 山本莉会

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