数秒のやさしさが1日の始まりを変える

出張でまたホテルに泊まった。翌朝、朝食会場から客室に戻るエレベーターでのこと。そのホテルはエレベーター内でカードキーをピッとかざさないと、自分の宿泊階のボタンを押せない。

左手にペットボトル、右手に持ち帰り用のコーヒーを持っていたので、カードをかざすには一度どちらかを床に置くしかなかった。仕方なく、コーヒーのカップをそっと床に置き、しゃがみこんでカードをピッとした。

すでにエレベーターにはおじさんがふたり乗っていた。50代から60代くらいだろうか。ここまで書いて他人をおじさん扱いしているが、おじさんと線を引いているのではなく、自分も40手前のおばさんだとは自覚している、と書き添えておく。

さて、おじさんのひとりは片手が空いていて、もうひとりは私と同じようにドリンクで両手がふさがっていた。片手の空いていたおじさんは、一番先に降りていった。

扉が閉まった直後、両手がふさがったおじさんが笑顔を向けてきて、こう言った。

「ちょっとは気を利かせてくれてもいいですよね」

その瞬間、私も思わず笑顔になった。

「ほんと、両手ふさがってると押せないですね」

短い言葉を交わし合ったあと、さらに上階へ向かう私から「では、失礼します」と伝えると、彼は「今日もお互いがんばりましょう」と言ってエレベーターを降りていった。

見ず知らずの人との、ほんの数秒のやりとり。でも、その言葉が、思いのほか心に残った。

「気を利かせてくれたら」の対象は、先に降りた片手の空いていたおじさんのことだろう。「ちょっと持ってましょうか?」という流れになれば、私もしゃがみ込まずに済んだかもしれない。

おじさんはその場を観察し、一瞬のうちに空気をやわらかくする言葉を私にかけてくれた。他人の不便や動作を見て、温かな言語化ができる人。そんなやさしい観察力やコミュニケーション力を私も身につけたいと思った朝だった。

Text / 池田園子

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