私の心の「ゴミ箱行き」リスト

通年、心の中に毒などない自覚があるし、特に秋はポジティブな感情で埋め尽くされているのですが、毒を吐きたくなるシーンも、実は眠っているのかもしれません。『エレガントな毒』と書かれたキャッチーな本のタイトルを見てそう思いました。

それってどんな時だろう。モヤッとした感情をジャーナリングで書き出してみました。

  • 自信をもって示したアウトプットを一方的に変えられるとき。ライティングなら、前置きなしに書き換えられてしまう時。料理なら味付けを消すように上から調味料をぶっかけられてしまうとき。
  • 愛情をもって取り組んでいる物事について(仕事でもプライベートでも)「そんなもの」という評価を受けたとき。
  • 「なんとなく適当に言語化された」自分をジャッジする言葉(誰かと比較して)を浴びせられる時。特に母のような世代上の女性から。
  • 懇意に対応してくれる「はず」と期待した人が忙しなく、冷たさに見舞われたとき。
  • 懇意な関係だからこそ、何らかの事情で、お互いにわかりやすく避けているとき。
  • 好きな人からのノーコメント、既読の無返信(これはグローバルスタンダードかもしれない)。
  • 好きだった人たち(「かつての」がポイント)だけで集っていて、まだ自分が関心のあるテーマで盛り上がっているのをSNSで遠巻きに確認した時の「村八分」感。
  • 一対一の連絡からは忙しさが伝わってくるが、最近はちょっと疎遠にされていないだろうかと感じるとき。”彼たち”の仕事、仲間内の懇親などの進行はイベントやSNSからは判明している。でも、自分には返信がない。あるいは「自分だけに」と錯覚しているのかもしれない。
  • 身近な隣人の「セルフケア不足」にふれるとき。
    筆頭に、とまらない鼻水やくしゃみ(押さえようともしない)、暑すぎや寒すぎ、空腹、残業や徹夜に見舞われてしんどい人。デジタル上のやりとりでさらっと不調を伝えるだけならいいが、話題の前置きにして気さくにアピールまでしてくる人もいる(そのシェアは特に喜ばしくない)。

季節柄、最後が決めうち。毒というより、行き場のない「もやもや」ですね。

ほとんどが好きな人たちとのコミュニケーション上の「妬み」「くやしみ」のようなものですが、その消化剤となる処方箋だけは、私なりに仮説があります。

それは、その人の分析を重ね(できれば単眼的にではなく複眼的に・多角的に)自分なりの工夫をして、別の角度からその人に近づいていくこと。(物理的な距離もありますが人間性にも近づいていく)

これまで自分はさほど強いと思えなかったのですが、この度デビューした女性特有の感情もあります。

SNSを使うオール世代、特に女性同士で顕著に共有するデジタル・もやもや課題なのではと感じているので、今回は広くジェンダーレスに読者さんに共有させてください。

働いているとか、いないとか、子育てしているとかしていないとか。

私たちは互いの「がんばり度合い」に自然に優劣をつけて、同じ土俵にあげて比較しているときがあります。なんともったいない時間でしょうか。

今、あなたがなんらかの罪悪感とくやしさと向き合っているなら、紙とペンを持ってそれを書きつけて、破いてしまってはどうでしょうか。

書いて吐き出すのがベストですが、もし人がいる時に吐き出すのなら、そのままではなく、砂糖菓子のポンポン玉に変換を。

もちろん、これは理想。でも、心にしまっておくのだけは、体に毒ですよ。呪いの言葉から身を守る自己安全保障も大事ですが、セルフケアのために覚えておくとよいでしょう。

Text / Anna Koshizuka(ゆる社会活動家/ケアライター

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【関連本】『エレガントな毒の吐き方』

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