父の寿命を数えてみた日

先日、パートナーのTaroと、男性の平均寿命の話をしていた。

日本の男性はだいたい81.9歳。よくある雑談。話の途中でふと計算してみた。もし父が平均寿命まで生きるとしたら、あと10年くらいなのか、と。

数字にしてみると、具体的。そしてその瞬間、自分でも少し驚いたのだけれど、私は「そうかあ」と思っただけで、特別に悲しい気持ちにはならなかった。

父は持病があるし、タバコも吸う。健康を強く意識しているタイプではない。
「それなら平均寿命より早い可能性もあるかぁ」と私は言った。
「体のことを考えると、もしかしたら5〜6年くらいかもしれないね」とTaroは言う。

でも、その話をしているときも、やっぱり悲しいという感じはなかった。私は冷たいのだろうか。でも、考えてみると、たぶん違う。

父の生き方は、父が選んできたものだからだ。

タバコを吸うことも、食べ方も、暮らし方も。もちろん体調や病気にはいろいろな要因があるけれど、それでも日々の生活の積み重ねの中で、人は生きて、そして人生を終えていく。

それは誰かに強制された在り方ではなく、父自身の選択でもある。だって、タバコを吸ってほしい、なんて誰からも言われてないわけで。

だから、もしその積み重ねの先で寿命を迎えるのだとしたら、それは「不幸な死」ではなく、その人の生き方の延長にあるものなのではないかな、と私は捉えている。

もちろん、事故や事件のように、突然奪われる命は違う。それはやっぱり悲しいし、やりきれない気持ちにもなるだろう。

でも、長い時間をかけて人生を生きて、その終わりが訪れるのなら、それは自然なことなのではないか、とも思う。

人は、いつか必ず死ぬ。それはとても当たり前のことなのに、いざ家族の話になると、その当たり前を受け止めるのが難しくなる。

延命治療のことも、きっとそうだ。もしそういう場面が来たとしても、それをどうするかは、本当は本人が考え、決めていくことなのではないかと思っている。

「人生会議」(ACP/アドバンス・ケア・プランニング)という取り組みもある。もしものとき、自分はどんな医療を望むのか。どういう時間を大切にしたいのか。元気なうちから家族と話しておく、という考え方だ。

家族であっても、その人の生き方や死に方を、代わりに決めることはできない。

日本では、家族の意思が強く働く場面もあると聞く。本人の気持ちと家族の思いがすれ違うことも、きっとあるのだろう。

でも、少しだけ思う。生まれてくることは、自分では選べない。だからこそ、最期の時間の過ごし方くらいは、自分の意思が大切にされてもいいのではないか。

……とは言いつつ、最近父は少しだけ様子が違う。

この前ちょっと入院したことがあって、どうやらそのときに、ほんの少し健康に目覚めたらしい。最近は、急に野菜を増やした料理をつくって食べているらしいのだ。

人はそんなに急に変わるものなのか、と家族は半信半疑だけれど、もしかしたら、思っているより少し長生きするのかもしれない。

そう考えると、さっきまで頭の中で数えていた「あと10年」という数字も、少しだけ、いい意味であてにならない気がしてくる。

Text / 池田園子

【関連本】『ACP入門 人生会議の始め方ガイド

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