昔、母に言われた言葉をふと思い出すことがある。「そんなボロボロのパンツ履いたまま事故に遭って、病院に運ばれたら恥ずかしいわ」
子どもの頃は、「ああ、確かにそれはちょっと恥ずかしいかもな」と、妙に納得してしまった記憶がある。母の言うことは正しい、みたいな前提があったから、「そういうものなんだ」とそのまま受け取っていた。
それを思い出したのは、毎月、ヨレヨレのパンツを履く時期があるからだ。正確には生理用のショーツで、月に一度、数日だけ登場する。私の場合はだいたい4日で終わるから、年間で48日。それを3枚で回しているので、1枚あたり年16日。365日のうちの、たった16日。
こうやって計算している時点で、もう買い替える気があまりないということかもしれない。仮に50歳で閉経するとしたら、あと10年くらい。今のペースでいけば、1枚あたりあと160日分くらいの出番。なんとなく、このまま最後までいける気もしてくるし、むしろ持たせたい気持ちすら出てきている。
実際、そのうち2枚は「このコ、いつからうちにいるんだっけ?」というレベルで古い。でも、機能している。ゴムが伸びているわけでもないし、どこかが破れているわけでもない。ただ、黒い色が少しずつ薄くなってきていて、全体的に布がくたっとしている。洗濯を重ねてきた年月が、そのまま手触りに出ている。でも、それが特に気になるわけでもない。むしろ、ちょっと馴染んでいる感じすらある。
ただ、「もう、休んでいいかも?」と声をかけたくなる状態ではある。それでも普通に履いている。なぜなら、別に問題なく履けるし、あまり出番がないからだ。ここで「じゃあ新しくしよう」とならないのが、自分でもちょっと面白い。

そんなふうに履いていると、ふと母の言葉を思い出す。「そんなボロボロのパンツで運ばれたら恥ずかしいわ」。冷静に考えてみる。仮に私が事故に遭って運ばれたとして、そのときパンツの状態なんて、誰がそこまで見るだろうか。パンツに目を向ける余裕ある? とも思う。まずは患者を助けることが最優先だから、そんなところまで気にしていないんじゃないかな、とも思う。少なくとも、私がその場に医療関係者や家族の立場でいたら、そこに目がいく気はあまりしない。
だとすると、あの言葉は現実的な心配というより、「どんなときでもしゃんとしていたい」という気持ちだったのかもしれない。いつ何があっても整っていたい、だらしなく見られたくない、という。母なりの美意識のようなものだったのだと思う。
でも今の私は、そこから少し離れたところにいる。年に16日しか履かないものに、どこまで整いを求めるのか。誰にも見せない前提のものに、どこまで美意識を持つのか。そう考えると、「まあいいか」で終わってしまう。
もちろん、それがいいとも悪いとも思っていない。ただ、今の自分にはそのバランスがちょうどいい、というだけだ。
それでも、あの母の言葉は、なぜかずっと記憶に残っている。もしかしたら何かきっかけがあったのかもしれないし、ただの想像だったのかもしれない。いずれにしても、その背景は聞いたことがない。
今度会ったとき、聞いてみよう。「あのとき、なんであんなこと言ったん?」と。たぶん、思っているほど大した理由はない気もするけれど。
Text / 池田園子
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