近所の仲のいい家族とご飯を食べながら、「今週の感謝とストレス」をシェアする時間があった。私は「ストレス編」で、前日起きたばかりの話を挙げた。私は基本的に朝が早い。その日、Taroが寝ぼけ眼で降りてきて、「朝から音がうるさい……そんな時間に起きないでほしいよ」と言った。早朝からガチャガチャしている、と。え、そう? 確かに食器が当たってカチャンと鳴ることはある。でもそれは、気をつけていても、どうしても出てしまう生活の音だ。ドラムを叩いているわけではない。うるさくしようと思ってしているわけではないのに、と思った。
しかも彼は2階で寝ている。私は別室で起きて、できるだけそっとドアを閉め、階段を降り、トイレに行き、洗面所でうがいをして、鏡に向かって“Hey Buddy!”と言う(開始1週間の新習慣)。そこからキッチンへ向かう。その一連のどこがそんなに騒がしいのか、分からなかった。ただ、例えば、コーヒーを淹れるときの、マグカップとドリッパーが触れる「カチャン」という音——あれかもしれない。あと、水道水を電気ケトルに入れる音も? 彼の部屋はちょうどキッチンの真上だし、構造上、音が響きやすいのも関係していそうだ。
その話をしたら、その場にいた家族も、たまたま参加していた友人男性も、似たようなことを言い出した。「うちもそう」「うちもだよ」。たまたま、夫側が妻の出す音を気にする、というケースが揃っていた。友人男性は、妻が朝にスムージーをつくる音(これは確かにインパクトが強い)で目が覚めると苦笑していたし、家族の男性は「妻には静かにしてほしいと何年も言ってきたけど、もう諦めた」と笑っていた。代わりにドアの下にタオルを詰めて、音を軽減しようとしたこともあったけど、「なんでこんなところにタオル置いてるのよ」と妻に撤去され、廃止になったそう。
「聴覚が良すぎるよ」「私は全然目が覚めないけど」。そんなことを言いながら、私たち女性陣は笑った。私たちからすれば、「うるさくしてないよ」という感覚なのだ。むしろ普通に生活しているだけ。
男性陣は、忍者のように静かに動いているという。しかも実演つき。グラスを置くときは、小指から先にテーブルにつけて、そこからそっと置く。「それ、本当にやってる!?」と大笑い。そしてもう一つ、LDKから廊下へ出るドアの閉め方。トイレに行くときのそのドアを、まるで時間を引き伸ばしているかのように、そろ、そろと、ゆっくり回しながら開けていく。閉めるのも合わせると、体感で20秒くらいかかりそう。「長い長い!」と笑ってしまうくらいの慎重さだ。それを真顔でやって見せるものだから、もうだめだった。腹筋痛い、涙止まらない。

でも、その夜の笑い話は、翌朝、少しだけ形を変えた。私は行動を変えてみることにした。前夜のうちに、マグカップの上にドリッパーと紙フィルターをセットしておく。コーヒー粉の缶も取りやすい場所に置いておく。電気ケトルにはあらかじめ水を入れておく。そうすれば、水道の音もしないし、動作も減る。できるだけ「静かな朝」をつくるための準備。やってみると、何も言われなくなった。
早く起きるのをやめたくはない。そこは譲れない。朝の時間は、自分のためだけに使える、貴重な時間だから。「起きないで」と言われたから起きない、という選択はしない。かといって、「じゃあ、別々に住みましょう」も違う。その代わりに、「どうすれば早起きしても問題ないか」を考える。
どちらが正しいか、という話ではない。繊細さには個人差がある。それだけのことだった。でも、他人と暮らすからこそ必要になる調整や工夫は、創造的で、悪くない。音を立てないために前夜に準備をするという、ほんの小さな実験。それだけで、朝の空気がやわらかくなるのだから、向き合い方はシンプルだ。
Text / 池田園子
【関連本】『朝イチの「ひとり時間」が人生を変える』
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