当たり前がなくなった日から

最近、思いがけず重宝しているものがある。紙せっけんだ。

いつ買ったのか、正確には覚えていない。ただ、東京にいた頃だから、少なくとも2021年以前。おそらく、登山に興味を持っていた時期だと思う。自然の中のトイレには石鹸がないことがある。そのとき、「持ち歩けたらいいな」と思って買ったのだろう。

40枚入り。けれど、ほとんど減っていなかった。使う場面がなかった。日常の中では、石鹸は「そこにあるもの」だったからだ。

いま通っているジムには、1階と2階に洗面台がある。ある日、1階のハンドソープのボトルがなくなっていることに気づいた。備え付けのものが切れているならまだしも、ボトルごとない。「なんで?」と、少し驚いた。アプリで運営に伝えてもみたけれど、数日経っても状況は変わらなかった。

マシンを使う場所だから、帰る前に石鹸で手を洗いたい。水だけで済ませた日は、どこか落ち着かない。そのとき、ふと紙せっけんのことを思い出した。

それからは、毎回ポケットにケースを忍ばせるようになった。

取り出すと、油とり紙のように薄い一枚。水に濡らすと、十分に泡立ち、石鹸として機能する。あらためて使ってみると、その頼もしさに小さく感心する。

なかったから気づくことがある。

石鹸があるのは当たり前だと思っていた。でも、その当たり前は、誰かの手で保たれていたものだった。

同時に、自分で持っていくという選択肢もあったのだと知る。環境に委ねきるのではなく、足りないときは自分で補うということ。

薄くて軽くて、役に立つ。そして、あることのありがたさにも、ないことの不便さにも、どちらにも目を向けさせてくれる。

今日もポケットに入れている。

Text / 池田園子

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