見えないところで、読まれている

「いいね」というものは、いつからこんなに身近な存在になったのだろう。SNSが当たり前になってから、それは言葉よりも手軽で、それでいて多様な意味を含んだサインとして使われるようになった。

私は、わりと気軽に「いいね」を押すほうだと思う。というより、「既読」のような感覚で使っている。noteでもFacebookでも、投稿を読んだら「読みましたよ」という印として押す。もちろん内容によっては別のリアクションを選ぶこともあるけれど、基本は「いいね」。読みました、受け取りました、そんな合図だ。

特にnoteのように文章が中心の場では、その気持ちが少し強くなる。文章を書くのは、やっぱりそれなりにエネルギーがいる。ゼロから言葉を紡いで、誰かに届ける。その過程を思うと、「読んだよ」という一押しには、「執筆お疲れさま」という気持ちも少し混ざっている気がする。過去に自分がライターだったから、というのも関係していそう。

だから私にとっての「いいね」は、共感の証というよりも、読了のサインであり、ちいさな応援でもある。

そんなふうに思っていたとき、少しおもしろい出来事があった。数年ぶりに連絡を取った友人に、「Facebook、たまに見てるよ」と言われたのだ。でも、その人から「いいね」をもらった記憶はほとんどない。もともとSNSをあまり使わない人だし、近年は投稿も見かけなくなっていた。だから必要があって連絡を取ったときも、「もう使っていないかもな」と思いながらメッセージを送ったくらいだった。

それなのに、見ているという。

ああ、と思った。「いいね」がないからといって、読まれていないわけじゃないんだな、と。もちろんすべてがそうではないだろうけれど、少なくとも「いいね=見ている人」ではないし、「いいねがない=見ていない人」でもない。

考えてみれば、「いいね」の使い方は人それぞれだ。心から共感したときだけ押す人もいれば、特定の相手にだけ反応する人もいる。あえて押さない人もいるし、距離を保つために押さない、ということもありそうだ。

つまり、「いいね」にはグラデーションがある。

だからこそ、数字や反応だけで何かを判断するのは、違うんだろうな。見えないところで読まれていることも、大いにある。

そう思うと、なんだか少しだけ世界の見え方が変わる。

それでも私は、これからもたぶん「いいね」を押す。読んだよ、というしるしとして。そして、あなたの言葉、見てますよ、という小さな合図として。

Text / 池田園子

【関連本】『「応援される人」になりなさい

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