山が、いつもそこにある

先日参加した勉強会で、京都出身の方がこんなことを話していた。京都の人は、毎日山を見て過ごしている。山の色を見ている。だから、色彩感覚のようなものが、自然とそこで研ぎ澄まされていくのではないか、と。

色彩感覚については、人によって違うだろう。けれど、「毎日山を見ている」という言葉には、深くうなずくものがあった。私も京都に住むようになってから、山の存在を日々感じているから。

今出川通から見える東山

私の家は、京都市の上京区にある。住宅街の中にあるので、家の中にいるときに山が見えるわけではない。けれど、京都市という街そのものが、三方を山に囲まれた盆地である。北にも東にも西にも山があって、南だけが開けている。だから、家を出て少し歩けば、すぐに山が視界に入ってくる。

太秦天神川近辺から見える西山

普段よく行き来する西大路通や今出川通、北大路通。そういった大きな通りを、ただ通っているだけで山が目に入る。京都は建物が低いから、視界を遮るものが少ないのだ。自転車に乗っていても、視線の先に山がある。南以外の方角へ向かうとき、そこにはたいてい山がある。

そのたびに、ああ、ここは盆地なのだなと実感する。

御池通から見える北山

いまの季節の山は、本当に美しい。緑が濃い。新緑というより、深まったグリーン。その色に、見とれてしまう。歩いている途中、自転車に乗っている途中、長く視線を奪われないように注意するくらい。

こんなにも山が身近にある暮らしを、自分がすることになるとは思っていなかった。普段の景色の中に山がある。ただ移動しているだけで、緑が入ってくる。それだけで、心がやわらかくなる。素敵なところに住んでいる。目にも、心にも、いい暮らし。

晴れた日の山はもちろん美しい。光を受けた緑がくっきりと浮かび上がり、ただ道を歩いているだけなのに、ご褒美をもらっているような気持ちになる。歩いているだけで幸せだと思える瞬間が、日常の中にある。

Taroは、雨上がりの日の山がきれいだと言っていた。雨を含んだあとの山は、どこかきらきらして見えるのだという。それも本当にそう。山は毎日同じ場所にあるのに、毎日少しずつ違う顔を見せている。

京都に来たら、ぜひ山を見てほしい。有名なお寺や庭園だけでなく、ただ道を歩いているときに見える山を、目に入れてほしい。暮らしの視界の中に、山が静かに存在している。そのことが、この街をこの街らしくしているのだと思う。

Text / 池田園子

【関連本】『京都府の山

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