優しい人ほど、主語が消える

最近、相談を受けることが増えました。仕事のこと、暮らしのこと、人との関係のこと。なかには、離婚をどうするか、というものもあります。

私は、どちらかというと、迷わないほうだと思います。誰かに合わせて何かを決めるという発想も、あまり持っていません。だから、迷っている人の話を聞くと、ときどき不思議な感覚になります。

その人の言葉のなかに、「私はどうしたいのか」が出てこないのです。

「親がこう言うから」「親戚にどう思われるか」「あの人を傷つけるかもしれない」「子どもに申し訳ない」「相手の家族が……」

主語が、本人ではない。

それはきっと、優しさの一種。誰も傷つけたくない。波風を立てずに、すべてを丸くおさめたい。そう願う気持ちは、自然なものだと思います。

でも、状況が大きく変わるとき、誰もまったく傷つけずに変化することは難しい。誰かを乱暴に傷つけていいという話ではなく、変化には少しの痛みが伴うことがある、ということです。

その痛みを恐れすぎると、人は変われなくなる。

「自分さえ我慢すればいい」と言う人もいます。そのとき私は問います。「その我慢を続けて、あなたは幸せですか」と。

すべては変わっていきます。人の気持ちも、関係性も、暮らしも、家族の形も。無常。変わらないものはないわけで。

だから私は、何度でも主語を戻してほしいと思うのです。

「あなたは、どうしたいですか」「あなたにとって、幸せな方向はどちらですか」

自分が幸せな方向を選ぶことは、わがままではない。それは自分を大切にすることであり、自分を大切にできる人は、きっと人のことも大切にできる。そのあり方は、そばにいる人にも伝わっていくのだと思います。

誰かのために迷うことは、優しさ。でも、決断するときは、主語を自分に戻していい。

人生は、誰かを傷つけないためにあるのではなく、自分にとって大切な思い出づくりをする時間なのだから。

Text / 池田園子

【関連本】『怒らない、落ち込まない、迷わない 苦を乗り越える宿題

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