京都に来てから、骨董の器を買うようになった。
買う店は決まっている。一条通と中立売通の間にある「こっとうギャラリー婆佐羅」。検索してたまたま見つけて、ひとりで何度も通い、友人を一度連れて行ったことも。

店主さんの許可を得て撮影
明治や大正の頃につくられた器、金継ぎされながら今も残っている器。長い時間を越えてきた器を一枚数百円で買うことができる。買いやすい金額と、行くたびに入れ替わる品々を前に、少しずつ手元に増えていった。
とはいえ、極力ものを増やさないようにしている。必要のないものは買わない。それでも器は買った。これは日々を豊かにするもの、つまり必要なものだと感じたから。
実際、その器たちはよく使っている。

ある日の食卓
小さなおかずをいくつか用意して、居酒屋風に少しずつ盛る。お酒と一緒に、ちょこちょことつまむ。フルーツを切って盛り付ける。そんな場面で、器の力はとても大きいと感じる。同じ料理でも、どの皿にのっているかで、見え方が変わる。食事を前にしたときの気持ちが変わる。味わいまで、少し深くなる気がする。
「この器には、これが合う気がする」「この柄(素材)なら、このおかずが映えるかもしれない」
そんなことを考えながら盛りつける時間が、好きだ。
食べているとき、器は必ず目に入る。簡単な料理しかしないんだけど、様になる。古い器を使うと、その器が辿ってきた歴史まで一緒に食卓にのっているような気がする。
食べることは、舌だけで完結するものではない。目で見て、手に取って、器の質感や重みを感じて、盛りつけの余白を楽しんで、そこから箸を伸ばす。——とはいえ私は早食いで、その一連を丁寧に味わっているかはかなり怪しい。それでも、器を選ぶことが、食事を豊かにしてくれると感じている。
毎日のことだからこそ、器を選ぶ。それだけで、暮らしは少し変わる。
Text / 池田園子
【関連本】『京都うつわさんぽ』
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