もし「余命三ヶ月です」と告げられたら、どう生きる? 何する?
イメージしてみたら、「今とあまり変わらない」生き方に落ち着いた。よく食べ、よく動き、よく眠る。今のような暮らし。
行きたい京都の場所にも行く。毎年夏恒例となった、地元に帰って家族と会う、ご先祖様のお墓参りをする、あたりは月一回の頻度に上げる。

ただ、食べたいケーキはその日に食べる。脂質量や体型を気にするのはやめて、一週間に二回くらい食べに行くかもしれない。先週から、訳あってHARBSに行きたくてしょうがない。日曜午後、HARBS大丸京都店を覗いたら、混みすぎて無理だった。今も密かに狙っている(#食関係の執着手放せてない)。
私の場合、変わるのは、食欲を若干解放すること。それくらいだ。自分の中で完結する欲なら、もう少し素直に満たしてあげていい。
一方、手放したい欲もある。矢印が他人に向かう欲だ。
他人の感情や行動が自分の理想通りになれば、と期待すること。そして、そうならないことに悶々とし、怒りや悲しみを抱くこと。
人の気持ちは、自分の力でどうにかなるものではない。相手の考えも、態度も、選択も、こちらがいくら働きかけたところで変えられるものではない。それなのにそこに心を傾けるのは、大切な時間を捨てているようなもの。他人を変えようとする不可能な挑戦をしているあいだ、自分自身はどこにいるのだろう。
お釈迦様の教えを学ぶ中で、「自分でわざわざ苦しみをつくり出す必要はない」という考え方に何度も出会う。欲望や感情をコントロールできないと、生老病死以外に新たな苦を自ら進んで製造することになる。特に人間関係において、他人をどうこうしたいという欲に支配されると、それはもう辛いに決まっている。
戦うのは他人ではなく、自分。自分に打ち勝ち、自分を育てること。自分が良い人間として生きる時間を選ぶこと。
命がいつ尽きるかに関わらず、私はこうやって生きていきたい。
Text / 池田園子
【関連本】『仏教は宗教ではない ~お釈迦様が教えた完成された科学~』
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