近所に住むアメリカ出身のご家族と、Bible Studyをしています。
私はキリスト教徒ではありません。ただ、英語の勉強になることと、何よりその家族との付き合いが楽しくて参加するようになりました。聖書を読み、英語をたどりながら過ごす時間は、私にとって学びの場であり、交流の時間でもあります。
先日、その集まりに友人を連れて行きました。もう何十年も、長く細くつながってきた友人です。
友人は事前に「私、英語が話せないけど大丈夫かな……」と不安がっていました。私は「問題ないよ。話したい気持ちさえあればOK!」と、まったく流暢でもない自分が、なぜか少し得意顔で励ましていました。

ところが、実際にその場が始まってみると、私の心配は見事に空振りに終わりました。
友人が、めちゃくちゃ上手に英語を話しているのです。語彙も豊かで、相手のジョークにも自然に爆笑している。どう見ても、十分話せているではないですか。
「え、あの謙遜何なん? 全然喋れてるやーん!」
心の中で激しくツッコミを入れながらも、純粋に感動しました。
確かにその友人は、少しだけ海外で働いていたことがあります。でも、決して長くはない。なのに、すごい。
二十年以上も関わってきたからといって、その人のすべてを知っているわけではない。それは、考えてみれば、当たり前のこと。でも、改めて実感しました。
普段の会話では見えない顔、特定の場所に行かなければ出てこない力、そして、別の誰かと出会うことで初めて開かれる表情があります。
人は本当に多面的です。仕事、家族、友人、学びの場。自分が知っているその人は、その人のほんの一部にすぎないのかもしれません。
今回、私は友人をアメリカ出身のご家族につなぎました。すると、その新しい関係性の中で、私が知らなかった友人の魅力が自然と立ち上がってきたのです。それは、本当に心を動かされる経験でした。
誰かと誰かをつなぐことは、ただ人を紹介するだけではないのかもしれません。いつもとは違う人たちと会い、少し違う空気の中に身を置く。そうした変化の中で、人は思いがけない表情を見せてくれます。
長く知っている人の中にも、まだまだ知らない宝物のような面がある。そう考えると、人と関わることがまた少し楽しみになります。すでに知っている「つもり」の人を、もう一度新しく知り直せる。それはなんて豊かなことでしょうか。
人は、ひとつの印象だけでは語れません。
だからこそ、これからも誰かと誰かが出会う機会を、用意していきたい。そこで見える新しい一面に驚いたり、心の中でツッコミを入れたりしながら、人とのつながりをもう少し丁寧に育てていきたいのです。
Text / 池田園子
【関連本】『天才たちの日課』
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