クリスチャンの友人と話していたとき、「土曜日は安息日だから、仕事はしないし、買い物にも行かないし、掃除もしない」と聞きました。ただ、教会に行くことはあるし、聖書を読んで勉強するのもよい過ごし方だそう。
私はずっと、教会に行く日は日曜日だと思い込んでいました。けれど友人は、土曜日の午前に教会へ行くと言います。
へえ、日曜日派と土曜日派がいるの?
その後、自分でも調べてみると、キリスト教にもさまざまな宗派があり、日曜日に礼拝するところもあれば、土曜日を安息日として守るところもあると知りました。
この話を聞いたのは、Bible Studyで天地創造の部分を読んでいたときでした。
“神が天地を創造し、七日目に休まれた。その七日目が安息日であり、だから人もまた休む。” そんなお話。
友人によると、金曜日の日没から土曜日の日没までが、安息日にあたるそうです。
その時間は、ただ予定を入れない日ではありません。仕事をしない。買い物をしない。掃除をしない。生活を進めるための行為をストップして、本当に休む日なのだと知りました。
信仰がなくても、同じような智慧に気づいている人は、すでにいる。
たとえば、ミニマリストの人たちが実践する「ノーマネーデー」もそのひとつです。私が財布を持たずに出かける日にも似ています。お金を使わない日を決めることで、消費し続ける日常をいちど止める。欲しいものや必要なものについて、静かに見つめ直す時間をつくる。
安息日とは形は違っても、根っこにあるものは近いのかもしれません。
働きすぎてしまう、予定を詰め込みすぎてしまう。何もしていないと不安になり、空白があると何かで埋めようとしてしまう。休んでいるつもりでも、スマホを見たり、買い物をしたり、結局ずっと何かをしている……。
そういうとき、息が浅くなっているものです。
効率を求めて急いでいると、呼吸が浅くなる。せわしなく動き続けていると、息をしていないような感覚になる。深呼吸ができるのは、落ち着いているときだけです。本当に休むとは、深く息ができる状態に戻ること、なのかもしれません。
けれど、本当の意味で休むとは、なんだろう。
仕事をしないだけでなく、消費もしない。家事もしない。自分を動かし続けるものから、いったん距離を置く。そうして初めて、身体だけでなく、心も休まる。それが、自分をいたわるということ。
安息日という言葉には、文字どおり「安らかに息をする日」という響きがあります。成果を出す、効率を上げる、といったことは置いておき、ただ休む。安らかに、深く、息をする。人間には、そういう時間が必要なのだと感じました。

信仰を持っているかどうかにかかわらず、週に一度、ゆっくりする時間をつくる。買わない日を設ける。働かない時間をつくる。生活を進める手をいちど止める。
Bible Studyで聞いた安息日の話は、私にとってとても新鮮でした。そして同時に、「休む」とはどういうことかを、改めて考えさせられる時間でもありました。
休むことは、空白ではない。むしろ、日々をすこやかに続けていくために必要な、静かなひとときなのだと思います。
Text / 池田園子
【関連本】『なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか』
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