0円でもらった、豊かな苗

我が家に、新たな植物が加わりました。キュウリと、綿と、枝豆。

しかも、なんと0円です。買ったわけではありません。近所の幼稚園の園児たちが、種から水やりをして、苗になるまで育ててくれたものをいただいたのです。

さて、この子たちはうまく育つのでしょうか。

その前に、少し考えてみてほしいことがあります。みなさんの家の近所にも、こんな「お知らせ」が貼られているかもしれません。

ことの始まりは、前日のことでした。隣に住むおばあちゃんが、我が家にやってきて、こう教えてくれたのです。

「明日、〇〇幼稚園で苗を分けてくれるみたいよ。気になったら行ってみてね」

その幼稚園は、私もふだん近くを通ることがあります。でも、最近はあまりその道を通っていなかったのか、あるいは通っていても見過ごしていたのか、そのお知らせにはまったく気づいていませんでした。

近所に住む人が、わざわざ家まで来て教えてくれる。まずそのことが、うれしかった。

「かなり安く買えるみたいよ」と聞いていたので、私は100円くらいで買えるのかなと思い、お金を用意して出かけました。近所の家族と連れ立って、幼稚園へ向かいます。

ところが、現地に着いてみると、お金はいらないとのこと。子どもたちお手製のチケットを受け取り、それと引き換えに苗をもらう仕組みでした。思いがけない展開に、少し驚きました。

「綿をください」
「枝豆をください」

そうお願いすると、園児たちが苗を持ってきてくれます。小さな手で育てられた、小さな苗。土の入ったポットを受け取るとき、ただ植物をもらっているだけではない気がしました。

そこには、子どもたちが毎日水をあげてきた時間がありました。先生たちが見守ってきた日々がありました。そして、それを地域の人に手渡すという、とてもあたたかい循環がありました。

もし隣のおばあちゃんが教えてくれなければ、私はこの出来事を知らないまま、いつもと同じ一日を過ごしていたでしょう。

私たちの日常は、こうした小さな分かれ道でできています。気づくか、気づかないか。声をかけるか、かけないか。その一つひとつの選択が、暮らしの豊かさを少しずつ変えていく。

さて、この出来事を振り返り、なんて豊かな世界なんだろう、と思いました。

お金を払って買う植物も、もちろん楽しい。自分で選び、気に入ったものを持ち帰る喜びがあります。

でも、今回の苗には、それとは違う豊かさがありました。

誰かが育てたものを、誰かが教えてくれて、誰かと一緒にもらいに行く。そこにあるのは、値段のつけようがない関係性です。

土の入った小さなポットを家に持ち帰りながら、私はうれしくなっていました。キュウリは実をつけるでしょうか。枝豆は収穫できるでしょうか。綿は、あの白くふわふわした姿を見せてくれるでしょうか。

うまく育つかどうかはわかりません。

でも、この苗たちに毎朝水やりをするたびに、私はきっと思い出すはずです。隣のおばあちゃんが教えてくれたこと。ご近所さんたちと一緒に歩いたこと。幼稚園で、園児たちから苗を受け取ったこと。

植物を育てる楽しみは、水をやり、日当たりを見て、少しずつ変化を見守ることにあります。でも今回、我が家にやってきた苗は、すでにたくさんの時間と人の手をまとっていました。

うまく育っても、育たなくても。この苗たちはもう、十分に豊かなものを我が家にもたらしてくれました。

もしかしたら、みなさんの近所にも、まだ気づいていない「お知らせ」や、声をかけてくれる誰かがいるかもしれません。今日、ちょっとだけ周りを見渡してみると、何か見つかるかもしれません。

Text / 池田園子

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