おたま目的のドライブ

おたまじゃくしが好きだ。頭としっぽだけでできているような、なんともいえないフォルムがかわいくて。

そういえば、英語でおたまじゃくしを意味する“tadpole”は「tadde」(ヒキガエル)と「pol」(頭)が結びついた語で、文字どおり「ヒキガエルの頭」を意味する言葉なのだという。あの見た目を、ずいぶん昔の人も同じように見ていたのだなと思うと、なんだか面白い。

子どものころは田んぼでおたまじゃくしを見つけては、じっと眺めたり、掬いあげて触れたりしていた。けれど大人になるにつれて、田んぼからも、おたまじゃくしからも、いつの間にか遠ざかっていた。好きだったことさえ、しばらく思い出さずにいた。

京都に暮らすようになってから、小さな生き物に目が向くようになった。雨の日のかたつむり、土の上のだんご虫、いもむし、蝶。自然がすぐ近くにあることで、忘れていた感覚が少しずつ戻ってきたのだと思う。そんなある日、ふと「おたまじゃくしを見に行きたい」と思い立った。

調べてみると、家から6kmほどの右京区・北嵯峨、広沢池の近くに田んぼが広がっているらしい。そこへ、Taroに車で連れて行ってもらうことにした(自転車で行ったこともあり、行ける距離ではあるものの、自転車道がない通りだから、車で行くほうが安心)。目的地は観光名所でも話題の店でもない。おたまじゃくし。おたま目的のドライブである。

最初に行ったときは、時期が早かったのか雨で寒かったからか、おたまじゃくしには会えなかった。それでも田んぼの風景の中を歩くだけで楽しかったし、家から一番近い田んぼがここなのかと思うと、自分は思っていた以上に都会に住んでいるのだな、とも感じた。岡山の実家の近くには1kmも歩けば田んぼがあり、祖母の家にも田んぼがあった。あのころ、田んぼはもっと身近なものだった。

そして2回目。ようやく、おたまじゃくしに会えた。昔見ていたものとは少し違う、透明感のあるおたまじゃくしだった。それでも確かにそこにいて、水の中を小さく動く姿を見ているだけでうれしかった。やっぱり私は、足が出る前の、あのつるんとした形が好きなのだと思った。

おもしろいのは、おたまじゃくしを見に行くと、そこで人との会話が生まれることだ。田んぼの道を歩いていると、地域の人が「最近カルガモの子どもが生まれて、あそこの田んぼでお母さんと歩いているよ」と教えてくれた。子どもたちに「おたまじゃくしっているのかな? 今いないんだけど」と聞いたら「いつでも見えるよ」と返ってきたこともある。エビを捕っているおじさんに何を捕っているのか尋ねると「エビ」と答え、「子どもがいるなら観賞用にあげるよ」と言ってくれた。

おたまじゃくしを見に行っただけなのに、知らない人と少し話し、その土地に暮らす人の声にふれる。そういう時間が、思いがけず楽しい。

お金をかけなくても、楽しいことはたくさんある。田んぼをのぞき込み、小さな生き物を見つける。水の中で動くおたまじゃくしを眺める。そこにいる人と、ほんの少し言葉を交わす。Taroに向かって、おたまじゃくしに会えた喜びを歌う。

それだけで、心がほどける。楽しい。

また、おたまじゃくしに会いに行きたい。

「京都100人カイギ」でゲストの立体紙切り師、辻笙さんがつくってくださったおたまじゃくし。すごい!

Text / 池田園子

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