昔は、夜に出かけるのが好きだった。何かしらのイベントが入っているのが楽しかったし、誰かと外でごはんを食べることも好きだった。予定の詰まったスケジュールを見ると、自分の毎日が充実しているように感じていたのかもしれない。
でも今は、なるべく夜は家にいたいと思っている。パートナーのTaroと、一緒に夕ごはんを食べたいからだ。
Taroは毎朝七時半から八時ごろに家を出て、遅い日には夜七時半ごろに帰ってくる。一日の半分以上、家にはいない。
一日に三回ごはんを食べるとしても、平日にTaroと一緒に食べられるのは夜だけだ。朝は慌ただしい。私はキッチンで、立ったまま食べている。Taroは座って寝ぼけ眼で食べている。朝はミニマムなコミュニケーションが前提。
では、土日なら一緒に食べられる機会が多いかというと、そうでもない。Taroは勉強会に行ったり、仕事に出たり、平日に不足した睡眠を補ったりしている。私も昼間、学びの場や催しに出かけることがある。結局、休日も一緒に食べるのは一日に一食くらい。
そう考えると、一番身近で、一番大切な家族とごはんを食べる機会は、けっこう少ないもの。だから私は、その一食を大事にしたい。
誰かと食事をする予定を、平日の昼と夜のどちらかで選べるなら、だいたいは昼を選ぶ。飲み会に誘われても、以前ほど優先順位は高くない。
とはいえ、用事が入ることもある。クライアントとの予定、なんらかの集まり、イベント、ボランティアなど。そんなふうに平日の夜、Taroと別々に何か用事があって出かけるとしても、週一回程度かな、と思っている。
それは、一緒に食べたいからだけではない。昼間、懸命に働いて帰ってくるTaroに、「おかえり!」と言いたい。

Taroは、患者さんのためにとてもいい仕事をしていると思う。その人が少しでも心地よく生きられるようにと考えながら、毎日いろいろな患者さんのもとへ向かっている。
晴れた日には、ロードバイクで訪問先を回る。京都は細い道が多く、日中の都会の道は混むから、車よりも自転車のほうが小回りが効いて、早く移動できる場合が多い。
とはいえ、身軽に走っているわけではない。診察に必要な道具が詰まった、二十キロ近い重たいリュックを背負っている。暑い日も、寒い日も、それを背負って、京都市内や周辺を自転車で走り回っている。夜に緊急往診などが入れば、寝ていても素早く起きて支度をして、現場に急行する。
そんなTaroを近くで見ていると、帰ってきたときには「おかえり!」と言って、ねぎらいたくなる。
Taroは、私が作った食事を「おいしい」と食べてくれる。私が家にいると喜んでくれる。そして、「ゾノと一緒にごはんを食べられてうれしい」と言ってニコニコ。そんなふうに感謝してくれる人を、大切にしない理由はない。
考えてみれば、自分があとどのくらい生きるのかなんてわからない。Taroと一緒にいられる時間が、どれだけ残されているのかもわからない。寿命は一日ずつ減っている。
そう思うと、二人で囲む夕食は、ただの生活の一場面ではない。
今日も無事に帰ってきた人に「おかえり!」と言い、同じものを食べて、「おいしいねえ」と言い合う。些細な出来事を共有し合う。その一食一食が、一緒に生きている積み重ね。人生の豊かな思い出作り。
基本的に仲良しだけど、別に会話がすごく盛り上がるわけではない。くだらないことを話して、ときにテンション高く盛り上がることもあれば、だいたいは静かに食べている。それでも、Taroと同じ時間を過ごすことに価値がある。
だから私は、夜は家にいたい。
Text / 池田園子
【関連本】『人生は気づかぬうちにすぎるから。』
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