先日、Taroに車を出してもらい、また北嵯峨へ行った。青々とした山と広い空に囲まれた田園地帯。あの景色が二人とも好きだ。
その日も、溶けそうな日差しが降り注いでいた。

太陽の下で仕事をしているわけでも、運動しているわけでもない。ただ田んぼをのぞき込み、ときどき景色を眺め、その場でのんびり過ごしているだけだ。それなのに、日傘を差していてもしんどい。何もしていないのに、立っているだけで気力や体力を失うような暑さだった。
そんな中で田んぼや畑を眺めていると、ふと、ここで農作業をしている人たちのことを想像する。
普段、スーパーへ行けば野菜を買うことができる。お米も、きれいに袋詰めされたものを届けてもらうことができる。あまりにも当たり前に手に入るから、その向こう側にある時間や労力を、日常的には思い浮かべない。
けれど、この炎天下で自然と向き合い、作物を育てている人がいる。二年前は貸し農園でプロの手を借りながら野菜栽培に挑戦し、今は玄関前のプランターで夏野菜を少量育てているが、日々の食卓を賄えるほどの量をつくることなど到底できない。それなのに、誰かが暑い日も外に立ち、手をかけて育てた野菜を、私は数百円で買うことができる。そう考えると、なんてありがたいことなのだろうと思う。
お米の一粒も、私にはつくれない。野菜の葉の一枚も、自力では生み出せない。世話をし、収穫する人がいて、それを運ぶ人がいて、店に並べる人がいる。毎日の食卓は、自分にはできない仕事をしてくれる、たくさんの人によって支えられている。北嵯峨の田んぼや畑の前に立つと、その当たり前のことが、実感を伴って迫ってくる。
もともと、買ったものは使い切り、食べ物を残さないようにしてきた。つくり手への感謝がベースにあるからだ。けれど、あの暑さの中で田んぼを眺めたあとは、その想いがより強くなる。
「フードロスを減らさなければ」と大きな問題として構えるよりも、まずは目の前の一粒、一枚が自分にはつくれないものだと自覚すること。それだけでも、食べ物の扱い方や食との向き合い方は少し変わるのかもしれない。
自分にはできない仕事をしてくれる人がいる。それは食べ物に限った話ではない。そのことを想像できれば、食卓に並ぶものは、これまでより少しありがたく見えてくる。
Text / 池田園子
【関連本】『「感謝」の心理学』
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