年齢を重ねるにつれて、自分に必要な物事と、そうではない物事の違いを、明確に感じるようになってきた。
「必要か、必要ではないか」を感覚的に言えば、しっくりくるか、こないか。心地よいか、心地よくないか。その感覚に、昔よりも素直になってきたのだと思う。
これまでは、心のどこかに違和感があっても、「こういうものだ」と受け入れようとしていたのかもしれない。けれど今は、そのサインを無視せず、取り出して眺めてみる。そして、合わないものを手放すようになった。
たとえば、誰かに誘われたら応じる。声をかけられたら、できるだけ期待に応える。以前は、それを半ば当たり前のこととして繰り返していた。誰かの誘いに応えることは、今も変わらずうれしいことだし、大切にしたい時間でもある。
ただ今は、「誘われたから」「声をかけられたから」という理由だけで動くのではなく、自分がその時間を心から楽しめそうかを、立ち止まって感じるようになった。多少無理をして応じるよりも、心地よいと思える時間や関わりを、より丁寧に味わいたいと思うようになったのだ。
そのぶん、一人で過ごす時間の大切さにも、以前より気づけるようになった。誰かと一緒にいることが良い悪いという話ではなく、一人でノートを使って行う内省——自分との約束という意味で、Myミーティングと呼んでいる——もまた、大切な人との約束並みに守りたい時間だよなあ、とも。
福岡に住む恩人・きむ兄さんのポッドキャストを聴いていても、自分にとって大切な時間や関わりを、丁寧に選び取っているような姿勢に、今の自分と近いものを感じることがある。
人との関わりを減らしたいわけでは決してない。ただ今は、誰かと過ごす時間を増やすことと同じくらい、自分自身とじっくり向き合う時間も必要としているのだと思う。
40歳という、一つの節目に差しかかったことも関係しているのだろう。これからも持ち続けたいものは何か。もう持たなくてもいいものは何か。見て見ぬふりをしてきた問いに、答えを出すときが来ている。

昨日、コウダプロの朝礼に参加したとき、「自分の内面にあった変化」についてのお話があった(後日コウダプロnoteで記事化される)。
人は日々刻々と変化している。人間だけでなく、この世に存在するものはすべて、一秒一秒、変わり続けている。その変化を重ねる過程で、本来の自分に戻っていく。そんなお話が、今の感覚と重なった。
コウダプロの朝礼では、そのときの自分に関係するトピックが、ところどころで出てくる。今回もまた、自分の中にぼんやりとあった感覚を、皆さんの言葉によって確かめられたような気がした。
この先も、しっくりくるか、心地よいかという感覚に、できるだけ素直でありたい。そしてその素直さが、誰かとの関わりを大切にする気持ちと、矛盾せずに共にあってほしいと思っている。
手放すたびに身軽になり、本来の自分へと戻っていく。今の私にとって、変化するということは、そういうことなのかもしれない。
Text / 池田園子
【関連本】『本来の自分を取り戻す「56のエクササイズと12の瞑想」』
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