8月16日、五山の送り火を見た。
まず向かったのは、金閣寺の近くにある、左大文字が見える場所。昨年、京都に引っ越してきて3か月ほど経った頃、Taroと二人で訪れた場所だった。
今年は、近所に住む家族と一緒だった。「よく見える場所に行くよ」と案内し、子どもたちの話を聞きながら、みんなで歩いて向かった。
あれ? 去年、ここから見えたのになあ。一年前にはなかった建物が、新しく建っていた。一年で、街の景色は変わる。

金閣寺近くのビュースポット
少し場所を移してみんなで送り火を見たあと、お疲れ気味の子どもたちとお母さんは帰宅。もっと見たかったお父さんと私とTaroの三人は、そのまま歩いて船岡山へ向かった。
着いた頃にはもう時間が遅く、送り火はほとんど消えかけていた。それでも、かすかに残る火を見ながら、ネット情報の通り、ここからは複数の送り火が見えるんだと確認できた。
「来年は20時過ぎにここへ来れば、ちょうどいいんじゃない」「でも、これだけいろいろ見えるなら、すごく混んでそう」。三人でそんなことを話していると、近くにいた女性が教えてくれた。
その人によると、20時前にはすでに大勢の人が集まり、山頂のなかでも送り火をよく見渡せる場所には、カメラを構えた人たちがずらっと並んでいたらしい。ただ、時間が経つにつれて少しずつ人が入れ替わっていくので、ずっと同じ混み具合ではないとか。
送り火関連の生きた情報を、たまたまそこにいた親切な人から教えてもらった。そんなささやかな触れ合いもまた、京都の街で迎えた二度目の送り火の思い出になった。
昨年、Taroと二人で左大文字を見ていた私は、一年後、近所の人たちと連れ立って送り火を見に行く自分を想像していなかった。想像していなかった未来が、今ここにある。
最近、私は一つの決断をした。いろいろな別案を考えたけれど、自分一人の中だけでは完結せず、周囲を巻き込まざるを得ないものだった。冷静に受け止める人もいれば、戸惑う人もいたし、悲観的にとらえる人も、驚く人もいた。
そんななか、一人の人がこう言ってくれた。
「変わっていくことは、悪いことではないですよね」
送り火を眺めながら、その言葉を思い出していた。
変わることは、良いことでも悪いことでもない。すべては無常だ。人も、関係も、街の景色も、刻一刻と変わり続ける。生きている以上、変わらずにいることのほうが、むしろ難しい。生きていくことは、変わっていくことなのだ。
変化のなかには、出会いと別れもある。振り返れば、これまで、たくさんの出会いと別れを繰り返してきた。もともと同じ組織で私を慕ってくれていた人が、環境を変えたあとも一緒に仕事がしたいと、あとからついてきてくれたこともあった。けれど、しばらく経つうちに目まぐるしい変化があり、離れていった。数年ぶりに、その人のことを思い出していた。
誰かと同じ時間を過ごし始めたとき、その関係がいつか終わることなど、あまり考えない。それでも、人も環境も変わっていく以上、出会いと別れはセットだ。
今こうして楽しく時間を過ごしている人たちとも、別れる日は必ず来る。
それは少し寂しい。けれど、いつまでも同じではないとわかっているから、今ここにある時間を大切にしたいと思える。
昨日みんなで歩いた道も、子どもたちと賑やかに見た送り火も、まったく同じ形では二度と訪れない。あの瞬間は一度きり。
来年は、もう少し早い時間に船岡山へ行って、そこから五山の送り火を眺めたい。でも、そのとき私はどこで、誰と、何をしているんだろう。そもそも、来年も生きている保証さえないわけで。今年と同じではない。
「生きることは変わること」だと腹落ちすれば、何かが変わったとき、最初は戸惑ったとしても、少しずつ受け入れられる気がする。
一年前にはなかった建物が街に立ち、一年前には出会っていなかった人たちと並んで、私は送り火を見ていた。見える景色も、周りにいる人も、去年とは違った。
だから、変わることを受け入れながら、今ここにいる人たちとの時間を大切にしていきたい。
Text / 池田園子
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