京都に来てから、一般の家の前に「ご自由にどうぞ」と書かれ、モノが置かれたコーナーをよく見かける。並んでいるのは、植木鉢や本、服、小物、植物の苗など。今まで住んだ街では、これほど頻繁に目にすることはなかった気がする。

私もこれまでに、植木鉢やトマトの苗などをいただいたことがある。そして昨日、移動の途中で、まるでガレージセールのようなテイクフリーに出会った。アパートの前に、服や着物、絵などが、お店さながらの量で並んでいたのだ。
自転車を停めて、まじまじと見入っていると、ご近所の方らしきおばあちゃんも現れた。
「この青いカーディガン、もらって帰るわ。デイ(サービス)に着て行って、『これ最近買ったのよ』って言っちゃおう(笑)。赤いのも素敵だけど、二つもらうのはどうしようかしら」(バリバリの京都弁だったが再現できない)
「もらったとは言わないんですね(笑)。この青、すごくおしゃれ。赤も遠慮せず、いただいたらいいんじゃないですか」
そんな会話を交わした。おばあちゃんは年金暮らしで、新しい服を定価で買うのはなかなか難しいのだという。こんなにきれいで、まだ十分に使えるものなら、必要な人がもらって使えばいい、と思う。
そのやりとりを終えたところで、ご近所さんとのグループLINEに「今、こんなのやってるよ」と写真付きのメッセージを送った。すると、そのうちの一人がすぐにやって来た。
私自身、昔は中古の服に興味がなかった。新しい服しか買わなかったし、一着に二万円、三万円を出すことにも抵抗がなかった。でも今は、少なくとも夏服に関しては、一着一万円以上のものは買わなくなった。普段は無印良品で買った980円のプチプラTシャツを着ているし、この夏買い足したソージュのTシャツも6,000円台。
冬服なら、昨年一万円台のトップスを買ったように、もう少し出せる感覚はある。それでも、以前ほど気軽に高い服を選ばなくなったのは確かだ。物価が上がったからなのか、お金を以前より大切に使うようになったからなのか。あるいは、すでに世の中にあるものを生かすことに、価値を感じるようになったからなのか。

Haul
この日のテイクフリーでは、一着のワンピースと誰かが描いた花の水彩画を数枚いただいた。夏のワンピースを一枚も持っていなかったので、素直にありがたかった。出していた方もちょうど姿を見せ、「もっともっと持って帰ってね」と声をかけてくださった。
近くには、偶然もう一軒、別のお宅のテイクフリーもあった。近くに住む友人は娘さんのものづくりに使いたいと品物を持ち帰り、私は布をいただいた。
「ご自由にどうぞ」の前では、物だけが受け渡されるのではない。知らない人と「これ、いいですね」と言葉を交わし、近所の人に知らせ、その人がまた家族のために持ち帰る。必要でなくなったものが、捨てられることなく、持ち主の顔も受け取る人の顔も見える形で巡っていく。
新しいものを買うだけでは得られない会話や出会いまでがセット。なんて幸せなんだろう。京都の街角にある小さなテイクフリーには、物を介して人と人がゆるやかにつながる、豊かな循環がある。
Text / 池田園子
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