家事には完了感がある

私は家事が好きだ。

掃除も、料理も、洗濯も、だいたい好き。と言っても、部分的にあまり好きではないこともある。たとえば、洗濯物を畳むこと。でも、服が少なく、ほとんどハンガーに掛ければ済むので、畳む機会があまりない。アイロンも苦手だけれど、アイロンをかけなくていい服しか着ないので、そもそも持っていない。

家事が好きなのは、一回ごとに完了して、必ず結果が出るからだと思う。

家事に終わりはない、とよく言われる。毎日また汚れるし、毎日また洗う。それはそうだと思う。ただ私の感覚では、「一回ごとに完了」する。夕食のあとの洗い物をやったら、その日の夕食の洗い物についてはもう終わりだ。明日また新しい洗い物が出てくるけれど、今日の分は完了している。その完了感を味わえるのがいい。

そして、やったことがそのまま結果になる。料理なら、材料がひとつの料理になる。掃除をすれば、ほこりがなくなり、床がきれいになる。たまっていた洗濯物を洗濯機に入れれば、しばらくして洗い上がる。洗い物も、ひとつずつ片づけていけば、やがて流しが空になる。手を動かしたぶんが、目に見える形で出てくるし、それは必ず出てくる。うまくいったのかどうか最後までわからない、ということがない。

始める前と終わったあとが、はっきりしている。そのわかりやすさが好きだ。ひとつ終えるたびに、小さな達成感がある。

家事をしているあいだは無心にもなれる。手を動かしながら、自分の生活を少しずつつくっているような感覚もある。もともと整った状態が好きなので、部屋がきれいになっていくこと自体も気持ちがいい。

それに、目が疲れない。ふだんの仕事では画面を見ることが多いけれど、家事のあいだ目に入っているのは、皿や床や洗濯物といった実物だ。頭と、腕と指くらいしか使わない仕事とは、身体の使い方がまるで違う。やっているあいだ、フィジカルだなと思う。

1〜2年前に、専業主婦になりたいと思ったことが何度かある。同じ時期に、無職にもなってみたいと思っていた。家事に集中する毎日は、私にとって結構楽しいのではないか。そんなことを考えて、『キャリアブレイク』の本を読んだりもした。結局、まだ無職にはなってないけれど。

今の家は、家事があまり負担にならないように整えている。

キッチンの調理スペースに置いているのは、まな板と浄水器くらい。洗った食器は、そこへ敷いた布の上に並べていく。洗濯物は乾燥まで済んだら、洗面所でさっと仕分けし、片づける。3LDKの家に掃除機をかけるのも、階段を含めても5〜6分あれば終わる。床に置いているものが少ないので、掃除の前にあれこれ動かさなくて済むからだ。

毎日することだから、できるだけ簡単に終わるようにしている。その積み重ねがあるから、私は今も家事を好きでいられるのかもしれない。

最近は、自分の家だけでなく、あるご家庭の掃除を引き受けるようになった。

家族の人数が増えれば、そのぶん家事も増える。自宅よりやることが多い。決まった時間のなかで、自分の家の何倍ものTo doを片づけていく。終わったあとにあるのは、これだけの量をこの時間でやりきったな、という感覚だ。

そのご家庭の方に、「私は家事が本当に苦手なので、家事が好きな方を尊敬します」と言われた。

素直にうれしかったし、少し誇らしくもあった。自分や家族の生活のためにやってきただけのことを、そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。苦手な人がいることは、これまでも知っていた。目の前の人がそう言ってくれたことで、はじめて実感を伴って受け止められた。

私は家事が好きだ。自分のために続けてきたことが、よその家の暮らしを整えることにもつながっている。

ずっとやってきた家事が、自分の家の外へ広がり始めている。

Text / 池田園子

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