母のエプロンと、使わずに済んだ700円

先週、実家に帰ったとき、母に連れていってもらいたい衣料品店があった。洋服も生活用品も安く買える「イトウゴフク」というチェーン店で、京都には店舗がないので、帰省したときにしか行けない。なかなか上質なタオルが100円程度で買える。以前、母がそこで買った新品のタオルを送ってくれたことがあった。

買いたいものは、ひとつだけあった。掃除の仕事で使うエプロンだ。

少し前から、一般家庭の掃除を請け負うようになった。エプロンは持っているけれど、数年前に買った麻のおしゃれなもので、料理教室に行くときにつけている。仕事にはもっと実用的で、黒くてシンプルな、いかにも掃除らしいものがいいと思っていた。イトゴなら700円くらいで買えるだろう。

店内を見て回るのは楽しかった。タオルやショーツのコーナーを眺めながら、今使っているものがボロボロになったらここで買おう、と考えた。

母に「私はエプロンだけ買うわ」と言うと、「エプロンなら、うちにあるからあげるよ」と返ってきた。買う気で来たのに、こんな展開になるとは。

家に戻ると、母は黒いエプロンを出してきた。以前、何かの仕事で使っていたものらしい。ほとんど使っていないようで、生地はまだ綺麗だった。胸元には謎のロゴマークが入っていたけれど、掃除のときに身につけるものだから、別にかまわない。広げてみると、まさに私が探していた形だった。

ありがたく譲ってもらうことにすると、母は続けて割烹着まで出してきた。服をすっぽり隠してくれるので、汚れそうな料理をするときに欲しいと思っていたものだ。自分で買っていたら、エプロンと合わせて2,000円近くかかっていたかもしれない。それが、一円もかからなかった。

700円を使わずに済んで、割烹着まで手に入った。たったそれだけのことが、帰り道までうれしかった。

昔の私なら、こんなふうには感じなかったと思う。買い物が好きで、どんなに些細なものでも、新しいものを手に入れるとうれしかった。買うという行為そのものが快感だった。それが今は、買わずに済んだことをうれしいと感じている。

友人の矢野麻子さんも、最近似たようなことを書いていた。誕生日に、好物をよい食材でつくろうと張り切って買い物に行き、最後に乳製品コーナーで20%オフのチーズを見つけてカゴに入れる。帰ってから誇らしげに見せたら、夫に「誕生日くらい割引じゃないのを買えばいいのに」と笑われたという。その文章の中で、彼女は自分のことを「ただのケチなのだ」と書いていた。

でも、私の知っている彼女は、人にお金を惜しむ人ではない。誕生日や何かの節目には、毎年とても素敵な贈り物と手紙をくれる。自分のためには1円でも安いほうを選ぶのに、人には惜しみなく使う。彼女の言う「ケチ」は、払わなくていいものに払わない、という種類。

私は、その考え方が好きだ。そして自分も少しずつそうなれていることが、うれしい。

お金にも、しまっておける場所にも限りがある。だから、いらないものにはお金を使いたくないし、むやみにものを増やしたくもない。

欲しかったものが、身近なところにあった。誰かが使わなくなったものを譲ってもらって、それが今の暮らしにぴたりとはまった。新しいものを買ったときとは違う種類のうれしさが、そこにはある。

母から譲り受けた黒いエプロンは、今週からさっそく仕事で使っている。胸元の謎のロゴごと気に入っている。

Text / 池田園子

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