そのうち書かなくなる日常

この週末、なんだか英語ばかり話していた。

意識していたわけではない。たまたま、と言うのが近い。けれど振り返ると、金曜日から日曜日まで、なにかと英語を話していた気がする。

木曜日の夜、隣に住む東欧出身の奥さんから連絡が来た。子どもの学校で急にエプロンが必要になったけれど持っていなくて、もし私が持っていたら貸してほしい、と。夜遅かったので「ドアにかけておくね」と伝え、その日のうちに置いておいた。短いやりとりだったけれど、こういう小さな頼り方と「ありがとう」の往復が、印象に残っている。

金曜日の夜、向かいの家におじゃまして、聖書を用いた勉強会に参加した。彼らはアメリカから来た家族で、毎晩、子どもが寝る前に聖書の一節を読み、そこからの学びや考えたことを家族でシェアしているという。この会はもともと家族の友人たちも交えて始まったもの。クリスチャンではないけれど、私はあとから誘われて参加するようになった。

英語の時間は、いつも少しだけ脳の使い方が変わる感じがある。うまく言えないけれど、自分の頭の別の引き出しを開けるみたいな感覚。

そのあと夕食の時間になり、帰り道にケンタッキーをテイクアウトしてきたTaroが途中参加。子どもたちは「クリスマスみたい!」と大喜びで、テーブルの空気が一気に華やぐ。文化の話や言葉の話をした。相撲のこと、日本人の「〜だと思います」という言い回し、英語はシンプルに言い切るよね、ということ。

前に読んだ『言語の力』の話もした。人は話す言語によって少し人格が変わるらしい、と。英語を話している自分と、日本語を話している自分は、たぶん少し違う。家族も「わかる気がする」と頷く。

土曜日の午後。植物園から帰ってきたら、外で子どもたちが遊んでいた。アメリカの子、東欧の子、混ざって何かをつくっている。“Sonoko!”と声をかけられて、彼らの元へ近寄る。ときどきTaroと一緒にお菓子をプチギフトしているので、懐いてくれている。お菓子の力は、たぶん語学力より強い。何をして遊んでいるのか聞いて、植物園の写真を見せて話して、それだけなのに、なんだか楽しい。

日曜日の朝はジムに行く前、東欧の奥さんに呼び止められた。植物を植えていて、昨日植物園に行った話をする。“I heard you had an annual pass before. I was so influenced that I bought one too.”と伝えると、彼女はうれしそうに笑った。犬の話をして、朝の空気の中で立ち話。

午後には、Taroが外で自転車を洗っていたところへ、向かいのアメリカの家族が来た。英語がわからないから、という理由で私が呼ばれる。この前話した相撲の続きを少し。土曜日の朝、前夜話したことの補足として大相撲や巡業についてメッセージを送っていたのだけれど、それを読んで、さらに興味を持ったらしい。買い物に行く前の、ほんの数分。

こうして並べてみると、本当に小さいことばかりだ。

でも、こういう小さい出来事が続くと、ふと考える。これが日常になっていくんだろうな、と。

きっと一年後には、わざわざ文章にしない。珍しくなくなるから。人って、当たり前になった瞬間に、書かなくなる。

今はまだ、新鮮だから。三日連続でみんなと顔を合わせることはそんなにない。隣に住んでいても、向かいに住んでいても、会わないときは何日も会わない。それぞれがそれぞれの人生を生きている。

だからこの週末は、ちょっと不思議だった。偶然が重なって、言葉が交差して、英語が日常の中に溶け込んでいた。

ありがたいな、と思う。

こういうことって、たぶん気づいたときにだけ、書ける。

Text / 池田園子

【関連本】『言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?

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