ずれていたから、出会えた

2月4日。立春の初詣に行こうと、今年の恵方を意識しながら歩いていた。

目的の寺社仏閣に向かうには、この道で合っているのかな、と少し迷いながら歩いていた、そのタイミングだった。

「すみません、コーナンまではどう行けばいいですか?」

たまたま声をかけられた。
私もまさに、かなり近くまで来ているはずなのに、どこから入ればいいんだろう、と考えていたところだった。

「ここをまっすぐです」と答えたあと、念のため、「一応、地図もお示ししますね」と付け加えた。万一間違っていたらいけない、と思ったからだ。

「“ななほんまつどおり(七本松通)”沿いにありますね」と言うと、相手の方が、「“しちほんまつどおり”ですね」と、さらっと訂正してくれた。

あ、そっか。私、まだ地名に慣れていないな、と口にすると、「京都の方じゃないんですか?」と聞かれた。

「昨年までは、大阪の豊中市にいたんです」と答えたら、「え、私も豊中に住んでました」と返ってきた。

そこから、話は一気に広がった(豊中の話で盛り上がった、というわけではない)。どのあたりに住んでいたか、今は何をしているのか。仕事の話、家族の話。

その方は特別急いでいる様子もなく、話し込むうちに、気づけば道端で名刺交換をしていた。初対面なのに、会話が止まらない。

「私はこのまま、初詣に行くんです」

そう言うと、「じゃあ、途中まで一緒に行きましょうか」となり、さらに、「私も一緒にお参りしようかな」という流れになった。

その方の家からすると、恵方とはずれていた。「ずれてますけど、大丈夫ですか?」と聞くと、「少しくらいはいいわ」と、笑顔でおっしゃる。

適当だなあ。面白い。それでも一緒に初詣をすることになったのだから、人生はわからない。

その後、お相手の目的だったホームセンターまで一緒に歩きながら、さらに話をしていたら、実はかなりのご近所さんだということも判明した。
LINEも交換して、今もやりとりが続いている。

あとから振り返ってみると、すべての始まりは、あの小さな間違いだった。

私が地名を言い間違えたこと。でも、その「違いますよ」があったから、会話が生まれた。訂正は、必ずしも遮断ではなく、「入口」になることもあるのだ。

もちろん、わざと間違える必要はない。けれど、少しのズレや勘違いがきっかけとなって、人との距離が、ぐっと縮まることもある。

立春の日に、そんな経験をした。間違いをきっかけに、話がひらき、関係がひらいた。

あの方とは、日常生活の面でも、これから何かしら関わることがあるかもしれない。それもまた、楽しみのひとつだ。

間違いは、修正すべきもの。そう思って生きてきたけれど、間違いは、始まりになることもある。

そんなことを、体感できた立春だった。

Text / 池田園子

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