お金の使い方には、その人の「内面」が出るなと思う。
何を買うかというより、そのお金を使うときに、誰を思い浮かべているのか。
そこに、その人が「どうありたいのか」が滲む気がしている。
たとえば、持ち物を有名ブランドで揃える人がいる。
それは自由だし、その人の選択だと思う。
ただ、そういう選び方を見ていると、「どう見られたいか」がふと透けて見える瞬間もある。
どう見られたいか。どう在りたいか。
そのためにお金を使う、という方向。
一方で、別の使い方もある。
パートナーのTaroは、人にお金を使うことが多い。
「これ買って帰ったら喜ぶだろうな」
その発想で、動いている。

私の母の誕生日には、「どっちが美味しいかな」とまず私たちでケーキを食べ比べて、一番いいと思ったものを選んで送る。
クリニックの事務スタッフにおやつを買って帰るときも、その人だけじゃなくて、家族の分まで用意する。
近所の外国出身の家族が相撲に興味を持ったときには、「日本語の勉強にもなるよ」と本をプレゼントする。
彼には「感謝されたい」という意図はほとんどない。
ただ、相手の喜ぶ顔を想像しているだけ。
だから、Taroのお金の使い方には、たいてい誰かがいる。
私自身も、誰かと会うときに、その人の顔を思い浮かべながら、ひとつ選ぶことがある。
気を遣わせないくらいの、ささやかなものを。
お金を使うとき、その先にいる「誰か」を思い浮かべているかどうか。
それが、使い方の違いとして表れている気がする。
ブランドで揃えることも、自分を輝かせるためのお金の使い方だといえる。
それもひとつの在り方だと思う。
ただ、Taroの使い方を見ていると、お金は「自分をどう見せるか」のためだけじゃなく、「誰かの時間を少しだけあたたかくする」ためにも使えるのだと気づく。
そしてそのとき、お金はただ消えるものではなく、人のあいだを静かに巡っていくものになる。
何に使ったかではなく、そのとき、誰の笑顔を思い浮かべていたか。
そこに、その人の在り方が、いちばん素直に表れる。
Text / 池田園子
【関連本】『The Art of Spending Money』
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